岸竹堂(きしちくどう)1826年–1897年
岸竹堂は、幕末から明治時代中期にかけて活躍した日本画家です。
狩野派、四条派の伝統的な絵画の技法を学んだうえで、写実主義に傾倒。特に発狂寸前に追い込まれるほど、虎をテーマにした作品にのめり込んで傑作を生み出しました。明治初期にアメリカで開催された万国博覧会で高い評価を得るなど、国際的な名声を博した画家でもあります。現在、その作品の多くは博物館や寺院に所蔵されており、高い価値を誇ります。
虎と対決して絵筆でねじ伏せた写実派の巨匠
1826年、現在の滋賀県彦根市に生まれた岸竹堂。彦根藩で代官を務めていた寺居家の三男として生まれ、29歳までは寺居八郎昌禄と名乗っていました。 そんな竹堂は、11歳で画家への道を歩み始めました。 最初は狩野派を学んだもののなじめず、18歳の頃、四条派から独自の岸派を編み出して京都で活躍していた画家・岸連山のもとに身を寄せます。岸派の絵画は竹堂になじみ、やがて29歳で岸家の婿養子となって「岸竹堂」を名乗るに至りました。
京都で画家として活動し始めた竹堂でしたが、1860年代に入って京都は勤皇・佐幕が入り乱れる幕末動乱の中心地となり、暗雲が垂れこめます。 1864年、長州藩と幕府軍が京都御所で衝突し、京都市中が焼け野原になった禁門の変に巻き込まれて多数の作品が灰となり、生活は困窮しました。
しかし明治維新後、現在も京友禅の老舗として有名な「千總」で友禅の下絵を描く仕事を得て、安定した生活を手に入れます。千總の京友禅は、竹堂の下絵によって一躍有名になったといわれています。 さらに、1880年には京都府画学校で講師の職を得て、画家として名を高めます。 岸派の流麗なタッチで描かれる竹堂の作品は、絵画品評会や展覧会で高い評価を得ました。
そんな中、サーカス見物で見た虎の演技に衝撃を受けた竹堂は、事物を克明に描く写実的な画風に転向します。1890年代には実物の虎を前に偏執的なまでに写生にこだわり、精神科に入院するほどのめり込んで代表作の「虎図」「猛虎図」などを完成させました。 「虎図」は1893年のシカゴ万国博覧会で銅牌を受賞して名声を得ましたが、1897年に死去。慢性胃炎により、72年の生涯を閉じました。
岸竹堂の代表作
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「虎図」
金泥を贅沢に塗りこめた絢爛たる背景に、子を抱いて守る母虎の逞しい姿を描いています。
筋肉の躍動が手に取るようにわかるほど精緻に写し取られたその姿は、写実的で即物的でありつつも崇高で感動的なムードに満ちています。 1893年のシカゴ万国博覧会で高い評価を受け、現在は東京国立博物館に所蔵されています。 -
「猛虎図」
1895年に描かれた屏風絵で、「虎図」のモチーフをより深めた作品に仕上がっています。 “猛虎”という言葉からは猛々しい凶暴な姿が想像されるかもしれませんが、4頭の虎は雪山で虚空を見つめていたり、水を飲んでいたり、寝そべってくつろいだりと、穏やかな姿を見せています。その姿はあくまでも写実的に描かれていますが、金泥をもやのようにまとわせて、幻想的で気品ある仕上がりにしています。 現在は滋賀県立近代美術館に所蔵されています。
その他、「近江八景図」「高尾秋景図」などが代表作として知られています。
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