川合玉堂(かわいぎょくどう)1873年–1957年
川合玉堂は明治・大正・昭和にかけて活躍した日本画家です。
風景画を得意とし、繊細で緻密な筆運びとこまやかな色彩感覚で描かれた詩情あふれる作品を数多く生み出しました。見る人の心を清らかに洗うような美しい作品の数々は、現代においても高い価値を誇ります。国内ではもちろんのこと世界的な名声も持ち、特にヨーロッパでは最上級の賛辞を贈られています。
日本の四季を詩情豊かに表現した風景画の巨匠
1873年、川合玉堂は愛知県に生まれました。
幼い頃から画家としての才能を発揮していた玉堂は、14歳で岐阜県の尋常高等小学校を卒業後、京都の望月玉泉に弟子入り。17歳で勧業博覧会に出品して高い評価を得て手ごたえをつかみ、翌年に愛知県で起こった地震によって父を亡くすと京都に移住。1895年(22歳)までその地で暮らしていましたが、その年に京都で開催された勧業博覧会で画家・橋本雅邦の作品に出会って衝撃を受け、翌年に上京して雅邦の弟子となります。
こうして東京に居を構えた川合玉堂は、以後、明治・大正の画壇で若き俊英として活躍します。 1906年に五二共進会の審査員に任命されたことを皮切りに、翌年には東京勧業博覧会、文展の審査員を務め、さらに1910年にはイタリアで開催される万国博覧会の監査委員に任命されます。 1915年には東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)の教授に任命され、以後は後進の指導にもあたります。 その後、海外でもその名が広く知られるようになります。 昭和に入るとフランスのレジオン・ドヌール勲章、イタリアのグランオフィシエ・クーロンヌ勲章を受け、ドイツでは赤十字第一等名誉章を受章。また日本では、戦時中の1940年、「紀元(皇紀)二千六百年」を祝う式典の日に文化勲章を授与され、超一流の文化人と認められることになります。 そんな玉堂は、戦時中から住み始めた青梅市で晩年を過ごし、1957年に死去するまで精力的に活動を続けました。
川合玉堂の代表作
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「二日月」
暮れなずんで深い闇が迫った夕空に、ほっそりとした二日月(新月翌日の月)が輝き、下界では馬を連れた農夫たちが野を移動している……という情景を描いた作品です。 玉堂の筆は、陽の光が絶える寸前の微妙な時間帯の空気感を見事にとらえました。 闇に溶けようとする背景の山々や木々、1日の疲れがのしかかって頭を垂れる馬、しっとりとした夕方の空気が絶妙な筆致で映し出されています。
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「彩雨」
近代日本の画壇では色彩の“にじみ”を多様した「朦朧体」と呼ばれる画風が流行しましたが、玉堂はそれを良しとせず、力強い線描をもって世界を描く作品に固執しました。 とはいえ、“にじみ”の技法をまったく無視したわけではなく、雨にけむって事物の色が淡くにじむ世界を表現するために、効果的に活用しています。 この作品もそのひとつです。積極的に“にじみ”の画法を活かし、秋の紅葉が雨にとける情景を情感たっぷりに描いています。
その他、「漁村渡舟」「行く春」などが代表作として知られています。
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