
前田寛治(まえだかんじ)1896年–1930年

前田寛治は、大正末期から昭和にかけて活躍した洋画家です。
鼻孔内腫瘍によって33歳という若さで命を落としたものの、日本の洋画界に多大な影響を与えた重要人物の1人として、日本洋画史にその名を連ねています。
リアリズム(写実主義)を代表するフランス画家ギュスターヴ・クールベに強く影響され、写実的な作品を多く制作しました。特に人物画を得意としており、その並外れた写実力から“人物写実画の名手”と称されるほどです。 また、当時西洋で主流だったフォーヴィスム(野獣派)の思想を取り入れ、荒々しく力強い筆致で描いたのも特徴として挙げられます。 このような独特の作風はのちに「前寛ばり」と呼ばれ、後世に受け継がれていきました。
短命でありながらも日本美術史に大きな爪痕を残した洋画家
前田寛治は1896年、鳥取県東伯郡(現・北栄町)に農家の次男として生まれました。
第三高等学校(現・京都大学)の受験に失敗するも、その悔しさを糧に、一転して画家を志します。
そして1916年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学した前田は、藤島武二や長原孝太郎といった洋画家たちに師事し、絵の知識を深めました。
東京美術学校卒業後は、さらなるスキルアップを目指して渡仏。ここでギュスターヴ・クールベの作品と出会い、その技法を研究するようになります。 こうしておよそ3年に及ぶ留学生活を経て、前田はリアリズムに基づいた独自の作風を確立させました。これがのちに「前寛ばり」と呼ばれ、一時期の流行語になるほどの注目を集めることになります。
1926年、帰国した前田は、留学中の友人である里見勝蔵、佐伯祐三たちと一九三○協会を設立。さらにその2年後には前田写実研究所を開設し、後進の指導にも力を注ぎました。 このような功績が讃えられ、1929年には名誉ある帝展審査員に抜擢されるものの、病によってやむなく辞退。そして翌年、33歳という若さでそのまま帰らぬ人となりました。
前田寛治の代表作
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「棟梁の家族」
1928年に制作された作品であり、前田の追い求めた写実画の完成形ともいえる傑作です。 前田のアトリエ建築を担当した棟梁と、その家族がモチーフ。フォーヴィスムを感じさせる力強い筆致で描かれている点、4色(赤、青、白、茶)がリズムよく配色されている点などが特徴的です。 また、この棟梁の家族に自身の家族を照らし合わせて描いたともいわれています。
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「海」
第10回帝展における帝国美術院賞受賞作であり、前田の絶筆でもあります。 病室で病と闘いながら完成させた作品とは思えないほどに力強い筆致で、荒ぶる大海の様子が鮮明に描かれています。
そのほか、「仰臥裸婦」「立っている労働者」などが有名です。
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