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中川浄益(なかがわじょうえき)の作品買取実績や歴史をご紹介します

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中川浄益
1559年 - 2008年
銀瓶買取

中川浄益(なかがわじょうえき)1559年–2008年

銀瓶

中川家は、安土桃山時代から続く金工の名家。代々「中川浄益」の名を受け継いでいます。初代は「紹益」と名乗り、千利休のもとで茶の湯に使用する薬鑵(やかん)製作を行ったことをきっかけに金工家として活動を開始。2代目以降は「浄益」と名乗り、茶道具作りの技術を継承していきました。
鉄を打つことで制作する「鍛造」と、鉄を型に流し込んで制作する「鋳造」の両方を得意として技術と伝統を受け継ぎましたが、2008年に11代目が他界。2020年現在、12代目となる継承者はまだ現れていません。

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茶道具作りに舵を切った中川家

1559年、のちに「中川紹益」となる中川與十郎は、現在の新潟県で誕生。先祖から受け継いできた技術を活かし、武具づくりを生業とします。中川家は装飾品、芸術品としての要素も持つ金物を作る「錺師(かざりし)」と呼ばれる職人一家であり、技術の高さは武士たちからもお墨付きでした。
そんな中川家ですが、與十郎が京都にのぼってから状況が変わります。「高い技術を持つ錺師がいる」という噂が千利休の耳に入り、豊臣秀吉が催した「北野大茶会」で使う薬鑵の制作を依頼されたのです。その後、名を「中川紹益」と改めてからは、晩年まで茶道具を専門にして制作をしていたといいます。

2代目以降は皆「浄益」を名乗り、千家と密接な関係を保ちながら制作を続けました。また3代目・浄益は銅や錫、鉛を使用した鋳造方法を開発し、「鋳物の名人」として名を上げました。
5代目、6代目の時代は、災害によって家財を失うなどのトラブルが続いた時代でしたが、7代目・浄益が見事復興を果たします。
そして幕末・明治初期に活躍した8代目・浄益は海外にも目を向け、日本の伝統技術をアピールするなど注力しました。さらに10代目・浄益は第一次世界大戦後の軍需景気に乗る形で、落ち込みがちだった事業の再建に成功します。 しかし、11代目のあとに継承者が現れず、事業が途絶えてしまいました。
激動の日本史の中で苦難を乗り越えてきた中川家ですが、今後の動きが注目されています。

中川浄益の代表作

  • 「利休薬鑵」

    初代・中川紹益の作品です。
    千利休が「自分の好みに合わせて作ってほしい」と自ら依頼した薬鑵で、素材に赤銅を用いています。 湯を沸かすと湯気によって色が変化し、使えば使うほど黒みが増す「経年変化」を楽しめるため、千利休はその様子も楽しんでいたといわれています。 ちなみに、赤銅を用いる薬鑵は珍しいものではなく、従来は「腰黒薬鑵」と呼ばれていました。しかし紹益の作品を利休がこよなく愛したことから、「利休型腰黒薬鑵」と呼ばれるようになったという逸話があります。

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