野田英夫(のだひでお)1908年–1939年
野田英夫は大正から昭和にかけて活躍した、アメリカ・カリフォルニア州生まれの日系人画家です。
生涯の大半をアメリカで過ごすものの、日本にも何度か訪れており、日米それぞれで培った感性を活かした個性的な作品を多く生み出しました。
とはいえ、その画家人生は極めて短く、脳腫瘍によって30歳という若さでこの世を去った夭折の画家でもあります。
当時、油彩画の聖地・ヨーロッパを目指す洋画家がほとんどであり、野田も一時はヨーロッパを訪れています。しかし、他の画家たちに比べて滞在時間は短く、当時の王道といわれるような作品は残していません。 ただ、これが功を奏したのか、野田だからこそ描けた独特の作品を数多く制作。日本、アメリカ両国で高い評価を獲得しました。
アメリカで培った独特の感性で個性的な世界観を表現した洋画家
野田英夫は1908年、アメリカ・カリフォルニア州で熊本県出身の日本人移民・野田英太郎とセキの間に生まれました。
幼少期は熊本で過ごすものの、小学校および中学校を卒業後に再び帰国しています。
そんな野田が画家を志すようになったのは1929年、ビードモント高校を卒業したあとのことでした。
ボーイとして働きつつ、空いた時間を使って絵を学んでいたといいます。
その後、ニューヨーク北部にあるウッドストック芸術村を拠点に定め、数々のキュビズム(立体派)的な壁画を創作する画家ディエゴ・リベラに師事。助手として活動する傍ら、絵のスキルを高めていきました。
このような生い立ちから、野田は日米それぞれで培った感性を活かし、個性的な作品を多く手がけていきます。 中でも世間の注目を集めたのが、1931年に起きたスコッツボロ事件を題材にした「スコッツボロの少年たち」という作品です。これがアメリカで高い評価を獲得し、一躍その名を馳せます。 その後、1934年と1937年に来日を果たし、日本の洋画界においても大きな爪痕を残しました。 しかし1938年、銀座で個展を開催したのち、体調不良を訴えて入院。その翌年、脳腫瘍によって30歳という若さでこの世を去りました。
野田英夫の代表作
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「サーカス」
1937年の作品であり、3人の人物が並んで描かれています。 しかし、3人に統一性はなく、それぞれが孤立しているかのように見えるのが特徴。これは、野田が感じている世界への隔たりを表しているのではないかと考えられています。
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「風景」
二手に別れた林道が描かれた、なんとも言えない寂しさを感じさせる作品です。 1936年、野田が日本からアメリカに帰った年に描かれた作品ですが、従来の作品のような温かみは一切なく、当時の野田の心象を反映したのではないかと思われます。
そのほか、「帰路」「手紙をかく女」などが代表作として知られています。
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