
橋本雅邦(はしもとがほう)
1835年–1908年

橋本雅邦は、幕末から明治にかけて活躍した日本画家です。
伝統的な狩野派を基礎とし、伝統を守りつつアップデートするべく意欲的に取り組み、横山大観をはじめとする多くの弟子を育て、“近代日本画の父”として称えられるまでになりました。
その作品は現在、国や自治体の文化財に指定されているものも多く、高い価値を誇ります。
日本画の伝統を守った“近代日本画の父”
江戸時代後期の1835年、橋本雅邦は現在の埼玉県に生まれました。
父が狩野派の絵画を描く川越藩の御用絵師だったこともあり、幼少期から狩野派を学び、12歳の頃から江戸で春川院養信に入門。養信の死去後は、その跡を継いだ勝川院雅信に学びます。
当時、同じく江戸にあって雅信に学んでいた狩野芳崖とは、年が離れていたにもかかわらず仲よくなり(芳崖は7歳上)、その後はともに日本画の発展に向けて切磋琢磨しました。
明治維新の動乱期には一時期、狩野派をはじめとする日本画が衰退。 雅邦や芳崖は苦難の時を過ごしますが、1880年代の初めにお雇い外国人のアーネスト・フェノロサが主導した伝統絵画の復興事業に参加することで転機を迎えます。雅邦は芳崖とともに、伝統的な日本画をアップデートして“近代日本画”を生み出すための挑戦に乗り出しました。
1886年、雅邦は文部省に出仕し、絵画取調所で活動します。 芳崖とともに、岡倉天心の指導のもとで東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)の設立を目指しますが、生涯の盟友として慕った芳崖は1888年に死去。雅邦は芳崖の絶筆となった「悲母観音」を完成させて傑作に仕上げ、東京美術学校の絵画科主任となります。
雅邦は、岡倉天心が急進的すぎる活動のために罷免されるまでその職にあり、横山大観や下村観山、西郷孤月などの弟子を育てました。天心が罷免された1898年には職を辞し、大観や観山たちを率いて天心とともに日本美術院の創立に携わります。
こうして日本画の発展に尽くした雅邦。 後進の指導に取り組みつつ晩年を過ごし、1908年にこの世を去りました。
橋本雅邦の代表作
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「白雲紅樹」
幽玄なる山水風景を描く伝統的な東洋の画風を基調とし、西洋画の遠近法の技法を盛り込んだ作品です。白雲たなびく山水の中に淡く水しぶきを上げる滝を配し、さらに雲の白を背景に浮かび上がった紅葉の美しさを表現しています。伝統を貫きつつ西洋画の世界にも目を向けた雅邦の畢生の傑作です。 現在は東京藝術大学に所蔵されています。
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「竜虎図」
雷鳴がとどろき、波濤が砕ける凄まじい嵐の中、2頭の竜と2頭の虎が激しく咆哮しつつ睨み合う姿を描いた屏風絵です。東洋画の伝統的な画題である“竜虎”を描いた作品ですが、雷光のきらめきや生物感に満ちた虎の姿には、新しさを盛り込もうとする雅邦の挑戦が見て取れます。 重要文化財に指定されており、現在は静嘉堂文庫美術館に所蔵されています。
その他、「毘沙門天」「寒山拾得図」などが代表作として知られています。
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