
大綱宗彦(だいこうそうげん)1772年–1860年

大網宗彦は、江戸時代後期の臨済宗の僧侶。
大徳寺住持であり、大徳寺塔頭黄梅院に居を構えました。臨済宗は仏の道を説くとともに茶の湯や書画をたしなむことを奨励した宗派であり、大網宗彦も茶の湯に造詣が深く、表千家の千宗左、裏千家の千宗室といった茶人たちと交流を持っていました。また、書画の中でも特に書を得意とし、その作品が現在も残されています。
臨済宗の僧侶にして詩歌・書画の名人
1772年、大網宗彦は京都に生まれました。
一説には母が光格天皇の乳母だったといわれますが、6歳で仏門に入って臨済宗大徳寺派の僧侶となります。
黄梅院の僧・融谷宗通に師事して学び、成長してからは師のあとを継いで黄梅院に居を構えました。
その後、修行を積んだ宗彦は最終的に臨済宗大徳寺派の管長(代表者)を務めるまでになっています。
そんな宗彦は当時の一流の文化人たちと交流を持ち、茶人の千宗左、千宗室をはじめ歌人の武者小路公隆らと付き合っています。公隆は宗彦の和歌の師匠でもありました。その導きもあり、宗彦は生涯に2万あまりの歌を詠んでいます。 そのほか、有栖川流書道に堪能な清水谷公正、歌人であり国学者でもあった賀茂季鷹といった人々とも交流があったと伝えられています。 また生涯にわたって日記をつけており、そこには文化人たちの生き生きとした姿が描かれています。
晩年には一線を退いて黄梅院の一隅で引退生活を送りますが、詩歌や書画、茶の湯を楽しむ悠々自適な日々を送っています。 日本が幕末の動乱期に突入しようとしていた1860年、死去。89歳の長寿を保ちました。
大綱宗彦の代表作
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大網宗彦は、仏の道をきわめつつ詩歌や書画、茶の湯を奨励した臨済宗の僧侶らしく、優れた芸術的センスを持って当時一流の文化人として活躍しました。 書画のうちではとりわけ書に優れており、現在も数多くの掛軸が残されています。 大網宗彦の書は、流麗でたおやかな風情を持つ薫り高い筆致が特徴です。端正で引き締まっていますが、同時に優しくやわらかな匂いを持っているところがポイントといえます。 その他、大網宗彦の肉筆を見ることができる日記『空花室日記』などが後世に残されています。
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