
浅井忠(あさいちゅう)1856年–1907年

浅井忠は、明治期に活躍した洋画家の1人です。
当時は日本画が主流の時代だったにもかかわらず、西洋画の魅力を広めるために精力的に活動。結果、日本画壇における西洋画の再興に大きく貢献しました。また、晩年は東京美術学校洋画科の教師として後進の育成・指導を行っており、教育家としても活躍しました。
そんな浅井は画力に優れており、繊細かつ写実的な傑作を多く描きました。没後100年以上経つ現代においても多くの作品が現存しており、変わらず高い評価を得ています。
西洋画の普及と発展に尽力した洋画家
浅井忠は1856年、佐倉藩士・浅井常明の長男として江戸に生まれました。
父が藩学校「成徳書院」の校長を務めていたこともあり、幼少期は父のもとで藩士としての教育を受けます。その後、13歳の頃からは、佐倉藩士であり画家でもある黒沼槐山に師事。主に花鳥画を学びつつ、美術の方面に傾倒していきました。
明治維新を迎え、武士以外の道を進めるようになった浅井は、20歳の頃に工部美術学校に入学。イタリアの風景画家、アントニオ・ファンタネージとの出会いをきっかけに、西洋画の世界に耽溺します。 しかし2年後、政府の財政難によって学校が資金不足に陥り、ファンタネージが帰国を余儀なくされます。 これを受けて、浅井をはじめとする多くの生徒が退学する運びとなりました。 また当時、東京帝国大学に招かれたアメリカの東洋美術史家アーネスト・フェノロサが「西洋画は有害文化」と貶めたことで、日本美術界において西洋画は異端とされるようになります。
こうして居場所を失う浅井でしたが、洋画家の道を諦めることはありませんでした。 全国各地の風景を描いて腕を磨いたのち、西洋画の評価を高めるために、80名もの洋画家を集めて展覧会を開きます。 このような浅井の活動により、西洋画の評価は次第に回復。やがて、東京美術学校に洋画科が設けられるようになり、浅井はそこで教授として迎えられることになりました。 以降、師であるファンタネージと同じく熱心な教育者となり、後進の育成・指導に尽力しました。
浅井忠の代表作
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「収穫」
洋画の評価を高めるために開いた展覧会で出品した作品であり、現在、国宝・重要文化財に指定されている最高傑作のひとつでもあります。 明治中期において大流行した、黄褐色を主とした「脂派(やには)」と呼ばれる作風で描かれています。 また、「収穫の時期を迎えた農夫の姿」という何気ない題材でありながら、豊かなロマンティシズムを感じさせる点も特徴のひとつといえるでしょう。
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「春畝」
浅井独自の視点で優美かつ重厚な自然風景を描いた、1888年の作品です。 早春の麦畑で農作業に励む、農夫の家族の何気ない日常を題材としています。 第一回明治美術会展に出品された作品であり、現在は重要文化財に指定されています。
そのほか、「藁屋根」「グレーの秋」などが代表作として知られています。
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