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青山義雄の生涯

青山義雄(あおやまよしお)は、大正末期から平成にかけて活躍した洋画家。早くからフランス・パリに居をかまえ、日本国内だけではなくヨーロッパでもその名を知られています。


青山は1894年、海軍に奉職する父の長男として神奈川県横須賀町(現横須賀市)に生まれました。 父の仕事の関係で9歳のころに北海道根室市に転居し、北海道の豊かな自然環境で育ちます。 14歳で画家を志して通信教育で絵を習いはじめ、腕を磨くために16歳で上京。しかしその後すぐ、父が財産を失ったことで青山は実家に戻ることを余儀なくされます。 しかし青山は、貧窮する家族を養うために身を粉にして働いている最中でも、画業を諦めることはありませんでした。肖像画を売って資金を貯め、27歳で単身渡仏したのです。


そのころは、フランス人以外の画家がパリで活躍した時代。青山も渡仏後すぐに美術学校に通い、金銭的に苦しい生活を送りながらも着実に画家として頭角を現します。 原色をたっぷり使い、荒々しく華やかな筆致で自由な世界観を表現する“フォーヴィスム(野獣派)”を牽引した画家で“色彩の魔術師”とも言われたアンリ・マティスに才能を認められて親交を結ぶかたわら、「サロン・ドートンヌ」「サロン・ド・ラ・ナショナル」に次々に入選。渡仏して8年後には初の個展を開催するまでの人気画家として人気を馳せました。


すでにフランスで成功していた青山は、41歳で一時帰国した日本でも高い評価を受けました。 しかし、第二次世界大戦の開戦によってフランスに戻れなくなり、日本での生活は17年にも及ぶことになります。戦争で物資が不足している中、当然絵など売れるはずもありませんでした。 1952年、戦後も困窮した生活を送っていた青山は、アンリ・マティスからフランスへの招待をもらう形で再度渡仏します。当時、58歳のことでした。


そこからはヨーロッパ全土をめぐりつつ活動的に創作を行い、南仏の街カーニュ、ニースを拠点として多くの絵画を残しています。再び名声を得て、92歳で日本に帰国してからも絵筆を離すことはありませんでした。 103歳で亡くなった青山の画家人生は70年以上。まさしく“絵に生きた”幸福な画家でした。


青山義雄の代表作と作風

代表作は『海の幸』。「古事記」を愛読書にしているほど神話文学に耽溺していた青木ならではの、神話に影響された独自のロマン主義・理想主義的画風の頂点とも言える作品です。 美術学校を卒業してすぐに行った旅行先の海岸から着想を得て描かれた作品で、作品内には恋人・福田たねをイメージしたとされる人物の姿も確認できます。 日本洋画の中では、歴史上もっとも早く重要文化財に指定されたことでも有名です。

青山義雄は短命であったため残されている作品は少ないものの、旅行先で描いたスケッチや簡単な素描などからも天才的な描写力をうかがい知ることができると評されています。

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