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萬鉄五郎作品買取

萬鉄五郎の生涯

萬鉄五郎(よろずてつごろう)は、明治末期から昭和初期にかけて活躍した洋画家です。 彼の描く作品は“ポスト印象派”の画家であるフィンセント・ファン・ゴッホや、“フォーヴィスム”を提唱したアンリ・マティスなどの影響を強く受けています。


1885年11月17日、岩手県和賀郡東和町(現・花巻市)で、9人兄弟の長男として生まれた萬鉄五郎。特に両親や兄弟の影響を受けたわけではありませんが、幼い頃から絵画に興味を持っていたといいます。7歳の頃は勇ましく描かれた武者絵に心奪われ、ほとんど外で遊ぶことなくさまざまな絵に見入る毎日を過ごしていたようです。また、14歳の頃には土沢高等小学校に通うかたわら、独学で日本画の創作に取り掛かります。さらにその2年後、水彩画のハウツー本『水彩画之栞』(大下藤次郎著)の影響を受けて、今度は水彩画も始めるようになります。


そんな萬は、1903年に私立早稲田中学校(現・早稲田高等学校)に入学。絵画同好会に参加し、ここでも水彩画をはじめとする絵画の創作に注力します。 卒業後は渡米し、本格的に絵画の勉強に励むものの、サンフランシスコ大地震による影響で滞在が困難な状況に陥ります。 その結果、わずか半年ほどで帰国。東京美術学校西洋画科に入学します。そして1912年、卒業制作として代表作のひとつである『裸体美人』を提出。荒々しい輪郭と大胆な色遣いを駆使したこの作品は、日本におけるフォーヴィスムの先駆的作品として後世まで伝えられることになります。


東京美術学校を卒業したあとは斎藤与里や岸田劉生、清宮彬たちとともに“後期印象派”や“フォーヴィスム”に興味を持つ画家集団「フュウザン会」を結成します。 そしてフュウザン会展を開き、黒田清輝の影響によるアカデミックな画風が主流となっていた当時の日本洋画界に、フォーヴィスムという新たな風を巻き起こします。 それからも自画像を中心に多くの作品を描き続け、そして数々の展覧会を通してそれらを世に発信した萬ですが、1927年4月、結核に伴う肺炎により画家活動を中止。そしてその翌月、41歳という若さでこの世を去ります。


萬鉄五郎の代表作と作風

萬の画風は上記のように、フランス有数の画家であり、同時にフォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在でもあるアンリ・マティスの影響を特に受けています。そのため、彼の作品は繊細な筆遣いで描かれるアカデミックな作品に比べて荒々しく、そして躍動感あふれる力強い筆致で描かれています。 また、当時の日本洋画界では見られなかった、絵具を厚塗りにしている点も特徴のひとつとして挙げられます。これもフォーヴィスムの影響によるものが強く、臨場感やスピード感を演出することで見る者に独特の情感を感じさせます。

このような画風で描かれた萬の代表作として挙げられるのが、当時に大きな話題を呼び、現在も日本洋画史を語るうえで外せない一作『裸体美人』です。 生前、萬自身も「ゴッホやマチスに感化されて描いたもの」と語っているように、力強い筆遣い、否が応でも目がいってしまう色彩など、フォーヴィスムの特徴が如実に表現されています。

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