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白滝幾之助作品買取

白滝幾之助の生涯

白滝幾之助(しらたきいくのすけ)は、明治後期から昭和前期にかけて活動した、日本の洋画家。 日本の風俗をモチーフとした写実的な作品を数多く発表しています。日本洋画界に尽くした功績が認められて、晩年には日本芸術院賞恩賜賞を受賞しています。


それからさかのぼること79年前の1873年、白滝は兵庫県但馬国生野町(現・兵庫県朝来市)に生を受けました。幼い頃に父を亡くしており、以後、母は女手ひとつで幾之助を育てます。 そんな中で成長した白滝は、小学校卒業後は生活を支えるために鉱山関係の仕事に従事していました。 しかし17歳で鉱山技師を志して上京したことが、白滝の運命を大きく変えることになります。 築地の工手学校の生徒となっていたある日、洋画家の山本芳翠に出会って画家になる夢を持ったのです。 その後は工手学校にて勉強を続けながら独自に創作活動を行い、内国勧業博覧会に作品を出品。 独学であるにも関わらず初の入選と褒状を受けた上に、作品は有栖川宮家に買い上げられることになり、早くも画家としての頭角を現します。


21歳になると本格的に画家を志して、山本の主催する生巧館画塾に入門。続いて黒田清輝の天真道場で腕を磨きました。また同じ頃、東京美術学校西洋画科(現・東京藝術大学美術学部)に入学して、24歳で卒業。卒業した年(1897年)に白馬会に出品した『稽古』は国民新聞(現・東京新聞)に掲載され、白滝は日本中に注目される若手画家となりました。


こうして着実に画家としてのキャリアを築いた白滝は、31歳でさらなる飛躍を求めて欧米に旅立ちます。 このとき肖像画に興味を持ち、リアリズムを追求した堅実な写実的作風を確立したと言われています。 旅はおよそ7年にも及び、帰国後は創作活動を続けながら日本水彩画会の創立や帝展審査員を務めるなど、中央画壇にて目覚ましい活躍を見せます。 主に“官展系”の画家として戦後の晩年まで長く画壇に携わり、87歳で病没しました。


白滝幾之助の代表作と作風

代表作は『帽子の婦人』。タイトルの通り帽子を被った婦人の肖像画で、師の黒田から学んだ“外光派”の技術がふんだんに盛り込まれた一作です。 きめこまかな肌に柔らかな外光(自然光)がそそぎ、婦人の姿をみずみずしく清らかに際立たせています。

白滝の作品の多くは堅実で写実的な風景画ですが、高い人物描画力によって独自性と写実性あふれる肖像画も残しています。 日本で培われた繊細さと、西洋の外光派の技術を掛け合わせたあたたかな作品からは、白滝の真面目で実直な性格も垣間見ることができるでしょう。

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