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野田英夫作品買取

野田英夫の生涯

野田英夫(のだひでお)は1908年、アメリカのカリフォルニア州で生まれた日系人画家です。 3歳のときに父・英太郎の故郷である熊本で小学校および中学校に通い、その後は再び帰国。1929年にビードモント高校を修業します。野田が画家を目指し始めたのはこのときであり、ボーイとして働きつつ、空いた時間を使って絵を学んでいたといいます。 その後、ニューヨーク北部にあるウッドストック芸術村を生活拠点としつつ、数多くのキュビズム的な壁画を創作する画家ディエゴ・リベラのもとで助手として活動する傍ら、自身のスキルを高めていきます。


熊本の豊かな自然に触れながら思春期を過ごし、アメリカで絵を学んだ野田は、その生い立ちから得た個性的な感性によって独特な味のある作品を生み出します。 中でも彼が注目されるきっかけとなったのが、1931年に起きた「スコッツボロ事件」を題材にした『スコッツボロの少年たち』という作品です。この作品がアメリカの芸術界で高く評価されたのを皮切りに、野田の作品はその後も多くの展示会に入選し、受賞します。


こうしてアメリカで画家としての頭角を現していった野田は1934年、再び日本を訪れます。 2年経たずしてニューヨークに戻るものの、この間に銀座青樹社での個展開催、二科展への出品などにより日本の洋画界にも爪痕を残しています。 ニューヨークに戻った野田は1937年、フレスコ壁画『学園生活』を制作し、母校であるビードモント高校に贈呈します。その後、ヨーロッパを経由して三度目の来日を果たすと、豊島区東長崎町のアトリエを拠点にして画家活動に励みます。 しかし新制作派協会の会員に選ばれた翌年の1938年、銀座で個展を開催したのちに体調不良を訴えて入院します。そして翌年、脳腫瘍によって30歳という若さで生涯に幕を下ろしました。


野田英夫の代表作と作風

生涯の大半をアメリカで過ごしつつも日本の影響を少なからず受けている野田は、日米それぞれで培った感性を組み合わせた作品を数多く残しています。

当時、洋画家が目指す場所といえば油彩画の聖地・ヨーロッパであり、中でもフランスで学びを得ることが名画家への第一歩とされていました。 野田も一時はヨーロッパに足を踏み入れているものの、ほかの画家に比べてそこでの滞在時間は短め。 そのため、当時の日本洋画界の王道をいくような作品は手がけていないものの、だからこそ独特の魅力が詰め込まれた作品を多く発表しています。 その中でも代表作のひとつとして、1937年に描かれた『サーカス』が挙げられます。 キャンバス内には3人の人物が描かれているものの、それぞれが孤立しているかのように見えるのが特徴。これは野田が感じている世界への隔たりを表現しているのではないかと考えられています。 このほかにも『風景』や『帰路』など、野田の心境を表現していると思われる作品が多く残されています。

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