山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)1836年-1888年
山岡鉄舟は、江戸時代末期に活躍した幕臣で、一刀流を極めた剣客としても名高い人物でした。
また書に優れ、いくつかの作品を残しています(一説に書は100万もの数にのぼるといわれます)。
明治維新の際には徳川幕府を代表して西郷隆盛などと対峙し、江戸城の無血開城を果たすなど功績を上げました。明治時代には官僚として活躍。その人柄は、幕臣時代の主君である徳川慶喜、維新の時に対峙することになった西郷隆盛など多くの人に愛され、多くの弟子にも慕われたといいます。現在、作品のいくつかは美術館や博物館に所蔵されており、美術展などで目にすることができます。
江戸時代末期の幕臣を代表する“剣・禅・書の達人
1836年、山岡鉄舟は幕臣・小野家の四男として江戸に生まれました。
文武両道の教育に熱心だった両親の影響を受け、武芸や書道に励み、特に書道の分野では少年時代から天賦の才能を発揮。15歳の頃には弘法大師流の書道を極め、一楽斎という号も持っていました。
さらに武芸の分野でも北辰一刀流や忍心流槍術などを学んで頭角を現します(明治時代になってから一刀正伝無刀流という流派も編み出しています)。
また、忍心流槍術を教えていた山岡静山が死去した際には、その妹の婿となって山岡家を継ぎ、幕臣となっています。1856年には、特に剣術の腕前に優れていることが高く評価され、講武所(若い幕臣の学校)で世話役を務めます。
また、1862年には江戸の浪士たちを集めて京都に送り出す浪士組の取締役となりました(浪士組はのちに京都で有名な新選組となります)。
こうして幕臣として活躍していた山岡鉄舟ですが、徳川幕府は数年後に崩壊します。鳥羽伏見の戦いに敗れた徳川慶喜が江戸に敗走すると、鉄舟は若い幕臣を率いて精鋭隊を組織。慶喜の警護にあたり、一方で勝海舟などとはかって西郷隆盛と会談。江戸城の無血開城を成功させます。 明治維新後は静岡県に移封された徳川家に従いますが、明治政府の誘いを受けて静岡県権大参事、茨城県参事などを歴任。また明治天皇の侍従も務め、52年の生涯をまっとうしました。
山岡鉄舟の代表作
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「至誠如神」
こちらは掛け軸で、「至誠如神」と太い筆遣いで大書されています。筆を運ぶ鉄舟の気迫に満ちた姿が思い浮かぶような雄渾な書で、激しくありつつも爽やかさも感じられるのが特徴です。まさしく達人と呼ぶにふさわしい筆致といえるでしょう。ちなみに、「至誠如神」は儒教四書のひとつ『中庸』の中にある言葉です。「至誠神の如し」と読み、「誠実な心を持つ人は神のような洞察力を持つ」という意味を持っています。生涯を通じて徳川幕府や将軍家への忠誠を貫いた、鉄舟ならではの言葉といえるでしょう。
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「蓮華の画」
岡鉄舟は書を得意としましたが、絵画の腕前も並々ならぬものがあります。本来が画家ではないため、デッサンが優れているとか精緻な筆遣いで緻密に表現されているとかいったことはありませんが、シンプルな線で物の本質をずばりと表現する力が感じられます。清楚な蓮の花を描いた「蓮華の画」もまた、素朴な筆遣いではありますが、花の可憐で凛とした風情を見事に表現しています。
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