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寺崎広業(てらさきこうぎょう)の作品買取実績や歴史をご紹介します

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寺崎広業
1866年 - 1919年
日本画掛軸買取

寺崎広業(てらさきこうぎょう)1866年–1919年

日本画掛軸

寺崎広業は、明治・大正の日本画家です。
風景画や風俗画を得意として高く評価され、現代においてもその作品は高い価値を誇っています。また旅を好み、若年の頃から折に触れて日本中を旅して“放浪の画家”と呼ばれていましたが、明治時代の後期から大正にかけては落ち着き、文展の審査員を務めるなどして日本画の発展に尽くしました。

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旅を愛して漂泊の生涯を送った日本画家

数年後に明治維新を迎える1866年、寺崎広業は現在の秋田県秋田市に生まれました。
絵画は16歳になってから本格的に学び始め、旧秋田藩の御用絵師を務めていた小室秀俊に入門して腕を磨きます。そして入門から3年後の1885年、旅に出た広業は各地を遊歴します。 1888年、23歳で上京して腰を落ち着けて画家・菅原白龍の門下に加わった広業でしたが、入門から4ヶ月後には早くも腰を上げ、旅に出ます。 旅のさなかに雑誌の挿絵を描いたり、古今東西の名画を模写したりして、徐々に名を高めていきました。

1899年には岡倉天心と橋本雅邦が結成した日本美術院に参加し、さらに1901年には東京美術学校の教授に就任します。 こうして日本の文壇における重要な画家のひとりとなった広業ですが、旅情と冒険心に突き動かされるように、再び腰を上げることになりました。1904年、日露戦争の戦場に従軍画家として参加します。3ヶ月後に体調を崩して帰国するまで、戦争画を数多く手がける一方、花鳥画や美人画にも熱中しました。

帰国後はようやく本当に腰を落ち着け、画壇の重鎮としての後半生を送ります。 1907年には第1回の文展に審査員として参加しつつ、大作を発表して話題を呼びました。 1913年には勤め先の東京美術学校で日本画の主任となり、さらに1917年には帝室技芸員に任命され、日本画家として最高の地位に就きます。 そんな広業は偉大な画家として尊敬されますが、1919年に54歳で世を去りました。

寺崎広業の代表作

  • 「秋苑」

    萩や芭蕉、菊など秋の植物が目立つ庭の一角に、テーブルに寄りかかって編み物をしている少女がひとり。その足もとには猫が寝そべり、秋の涼風を受けて気持ちよさげに目を閉じています。 静謐なムードに満ちた秋の情景を見事に表現していますが、物思いに耽っているような少女の表情や編み物をする繊細な手つきから、少女の恋心をテーマにしているといわれています。

  • 「高山清秋」

    長野県と群馬県の境目にそびえる白根山に登った広業は、そこから見える風景の美しさに魅せられて絵筆をとりました。裏箔のきらびやかな金色を背景に、山々が連なる風景を詩情豊かに描いています。 遠景に行くほどに淡くなっていく山並みが美しく、近景の緑の中にひとむらの紅葉が萌えてアクセントをなし、独特の色彩感覚で秋の爽やかな空気感を表現しています。
    その他、「歳の市」「王陽明」などが代表作として知られています。

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