新海竹太郎(しんかいたけたろう)1868年–1927年
新海竹太郎は、明治から昭和にかけて活躍した彫刻家です。
西洋文化が流入してきた明治日本において、西洋の彫刻技術を優れたセンスで見事に取り込み、日本の近代彫刻の成立に寄与しました。正確無比な写実性が特徴として挙げられ、作品はいずれも高い価値を誇ります。
明治日本を代表する彫刻家のひとり
慶応が明治と改まり、新時代がスタートした1868年、新海竹太郎は現在の山形県山形市に生まれました。初め軍人を目指して上京した竹太郎は、19歳で近衛騎兵大隊に入ります。 軍人として出世したいと望んでいたものの、士官候補生への試験で失敗。悩む日々を送りますが、そんな中で偶然、暇を持て余して作った馬の彫刻が大隊の中で評判となり、これがきっかけで彫刻家を目指すようになります。 1891年、近衛騎兵大隊を除隊した竹太郎は、後藤貞行に師事。後藤を通じてその師であった高村光雲を知り、また浅井忠、小倉惣次郎といった人々にデッサンや塑像を学びます。
そんな竹太郎の名が世に知られるようになったのは、当時の軍の依頼を受けて「北白川宮能久親王騎馬銅像」の制作に携わったことがきっかけでした。 1899年に原型を完成させ、1902年に本体が完成。話題を呼びます。 しかし1900年からヨーロッパに渡っていた竹太郎は「北白川宮能久親王騎馬銅像」の完成に立ち会うことはなく、フランスやドイツで当時の最新の彫刻を学びます。
帰国後は太平洋画会や太平洋画研究所などで活躍し、後進の育成にもあたりました。 その後も偉人の銅像や代表作となる「ゆあみ」「決心」を含む傑作を次々に発表。明治日本を代表する彫刻家のひとりとしてその名を知られるようになります。 1917年からは文展の審査員を務め、また1917年には帝室技芸員、1919年には帝国美術院会員となり、彫刻界における重鎮となりました。
新海竹太郎の代表作
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「ゆあみ」
東京国立近代美術館に所蔵されている作品で、1907年に制作されました。 湯浴み(入浴)する女性の姿を表現したもので、優美な体のラインや柔らかな表情、また体を流れる湯などが緻密に表現されています。
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「決心」
石膏づくりの像で、「ゆあみ」と同じく1907年に制作されました。 豊かなひげを蓄えた男性が固くこぶしを握り、決然とした表情で直立して前を見つめている姿をかたどっています。東京勧業博覧会に出品され、高い評価を得ました。 なお、作品自体は現存していませんが、東京文化財研究所に作品を写した写真が残されています。
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