
梅原龍三郎(うめはらりゅうさぶろう)1888年–1986年

梅原龍三郎は、昭和の日本画壇を代表する洋画家の1人です。
伝統的な日本画の様式に油彩画の技法を取り入れた独自の作風を生み出し、「“日本の洋画”を確立させた」と評されました。その革新的な作風は世界でも高く評価され、1973年にはフランスの芸術文化勲章を受章しています。
また、後期は創作活動に励む傍ら、帝国美術院(現・日本芸術院)や東京美術学校(現・東京藝術大学)で美術教師としても活躍。後進の育成・指導に熱心に取り組み、教育家としても日本近代洋画の発展に貢献しました。
日本近代洋画の新たな境地を切り開いた巨匠
梅原龍三郎は1888年、京都府京都市下京区芦刈山町に生まれました。
実家は染物問屋を営んでおり、その地域の有力者。このことについて、本人は「芦刈山町で断然大きな家だった」と語っています。
そんな梅原家に連日多くの図案絵師たちが通っていたことから、梅原自身も15歳のときに絵を描き始めます。
その後、一度は父に画家の道を反対されるものの、20歳のときに渡航費をもらい、フランスに留学しました。
ここで当時巨匠と謳われていた画家・ピエール=オーギュスト・ルノワールと出会い、のちに生涯の師として仰ぐようになります。ルノワールは梅原に才能とセンスを見出し、個人指導を開始。この経験が、梅原の感性と作風に大きな影響を与えました。 また、このとき梅原は、ルノワールとパリの芸術についての記事を執筆し、知人であり同じ洋画家でもある有島生馬を通して文芸雑誌「白樺」に寄稿しています。
約5年にわたる留学生活を経て帰国した梅原は、さっそく「白樺」主催で個展を開催。見事に成功を収め、華々しく画壇デビューを果たしました。 その後、若手画家の登竜門「二科会」をはじめ、「春陽会」「図画創作協会洋画部」などの設立に携わります。 また、後期は帝国美術院や東京美術学校に務め、およそ20年にわたって後進の育成に尽力。多方面から日本近代洋画の発展に貢献しました。
梅原龍三郎の代表作
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「横臥裸婦」
エキゾチックな色調の背景に、鮮烈な色彩の裸婦を荒々しくも繊細な筆致で描いた作品です。 「桃山美術」「琳派」「文人画」など、日本の伝統的な画法に、西洋で学んだ油彩画の技法を組み合わせた手法が生かされています。
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「大仁富士」
生前、長く暮らしていたという伊豆で描いた作品で、富士山やその一帯の風景を題材にしています。 力強くそびえる富士山の魅力が最大限に引き出されているほか、赤や黄を基調とした鮮やかな色彩表現によって暖かみのある柔和な印象に仕上げられています。
そのほか、「雲中天壇」「紫禁城」「北京秋天」などが有名です。
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