荻原碌山(萩原守衛)1879年–1910年
萩原碌山(はぎわらろくざん)は、明治時代の彫刻家。本名は守衛(もりえ)。希望と絶望のはざまで逞しく生きる人々の姿をドラマチックに表現した作品で知られています。特に、生涯にわたって憧れの女性であり続けた相馬黒光をモデルにした作品が高い評価を受けています。最後の作品「女」は、希望と絶望の相克と女性への憧れを結集させた作品であり、日本彫刻史上の傑作といわれています。
希望と絶望を表現した情熱の彫刻家
1879年、萩原碌山は長野県南安曇郡東穂高村に暮らす農家の五男・守衛として誕生しました。14歳で高等小学校を出たあとは、家業を手伝いつつキリスト教に影響されたり、学問に没頭したりといった少年時代を過ごします。そんな中、17歳のときに出会った年長の女性・相馬黒光に芸術の手ほどきを受け、やがて画家を目指すようになります。
1901年、アメリカに渡って絵画を学び、1904年には渡仏。さらに絵画の道を深めようと思っていた碌山ですが、そこでオーギュスト・ロダンの「考える人」を見たことをきっかけに彫刻に転向します。アメリカやフランスで彫刻を学び、1907年にはロダンとの面会を果たしました。この頃、代表作のひとつである「坑夫」を制作しています。
帰国後は少年時代に芸術を教えてくれた女性・黒光との再会を果たし、彼女への想いを胸に秘めつつ創作に没頭。夫の不倫を嘆く黒光との関係に悩みつつ、「文覚」「デスペア」などの傑作を手がけていきます。1910年、絶望に打ちひしがれながらも天を向く女性の気高い姿を表現した傑作「女」を完成させましたが、同年4月20日、にわかに吐血。その2日後、30歳という若さで世を去りました。
荻原碌山の代表作
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「坑夫」
1907年、フランスのパリで学んでいた頃に制作した作品です。碌山はパリの美術学校「アカデミー・ジュリアン」に籍を置いて彫刻を学んでおり、その際、イタリア人の青年をモデルに制作しました。ごつごつとしたフォルムに、力強い表情をたたえた男性の強靭な姿が表現されており、碌山の初期の傑作として高い評価を受けています。現在、この作品は東京国立近代美術館に所蔵されています。
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「女」
こちらも東京国立近代美術館に所蔵されている作品で、1910年に制作された碌山の遺作です。ひとりの女性が両手を縛められているかのように後ろに組み、膝をつきつつ空を仰いでいる姿が表現されています。何ものかに抑圧され、深い絶望の底に落とされながらも、希望を胸に天を見つめている……そんな希望と絶望の相克が見事に表現されています。
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