
即非如一(そくひにょいつ)1616年‐1671年

即非如一は江戸時代前期に活躍した黄檗宗の僧です。
能書家としての一面も併せ持ち、即非の祖である隠元隆琦、隠元の弟子である木庵性瑫とともに「黄檗の三筆」と称されています。また、詩や絵にも秀でていた即非は日本における文人画を開拓した人物ともいわれています。
隠元らとともに来日した禅僧・即非如一
即非如一は福建省の出身で、出家前の姓は「林」でした。
なお、林家は南宋で皇族・貴族に仕え、警備や雑用などを行っていた一族であったといいます。
若くして父を亡くした即非は龍山寺に入り、出家します。多くの僧を育てたことで知られる費隠通容(ひいんつうよう)のもとで修業を行い、1637年、費隠の弟子で黄檗宗の祖として知られる隠元隆琦に師事しました。
補足ですが、禅の世界では迷いがなくなることや真理を得ることを「大悟する」といいます。即非は山火事の消火活動中に穴に落ちてしまい、救出してもらった際に大悟したという逸話が残されています。
1657年、師の隠元隆琦に招かれ日本に渡った即非。長崎市の崇福寺で伽藍の整備などを行いました。
なお、当初は3年間という期限付きで来日していた隠元隆琦でしたが、当時隠元は幕府にとっても重要人物であったこと、また隠元自身も「日本にとどまりたい」という思いがあったことから、事実上「無期限」に。これに合わせ、即非や兄弟子である木庵性瑫も日本にとどまる形となりました。なお即非は1664年に帰国しようとしますが、この途中で福聚寺を創建し、開山。最終的には長崎の崇福寺に隠居し、日本で骨をうずめることとなりました。
主な作品について
能書家として知られる即非如一ですが、画家としての一面も持ち合わせていました。とくに、禅の世界観を表現する観音、羅漢を得意としており、これらは日本の「文人画」の先駆けになったと考えられています。 また書の道では隠元の意思を継ぐ「黄檗流」を受けていた即非。隠元隆琦、木庵性瑫とともに「黄檗の三筆」と呼ばれるようになりました。 黄檗の三筆は中国人らしい書風、「唐風」という共通点を持ちますが、隠元が「穏健高尚な書」とされていたのに対し、木庵は「雄健円成な書」、そして即非は「奔放闊達な書」であるといわれています。 三人の書は現存するものが少ないため、現在でも高い希少価値を持ちます。とくに、骨董収集家の中でも中国骨董を愛好する人たちから注目されています。
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