
村上華岳(むらかみかがく)1888年–1939年

村上華岳は明治・大正・昭和に活躍した日本画家です。
若年の頃から天才的な画力を発揮。特に女性を題材にした作品には定評があり、「日高河清姫図」をはじめとする代表作は高評価を得ました。晩年は喘息を病んで中央の画壇を離れて細々と活動を続け、半ば“忘れられた画家”となりましたが、独自の境地に達した仏画などは一部で高く評価されており、その作品は現代において高い価値を誇ります。
“永遠の女性美”を追求した日本画家
1888年、村上華岳は大阪府に生まれました。
生家は名門・甲州武田氏の末裔でしたが、1901年に華岳の父が死去。華岳は武田家を継ぐものの、のちに叔母の嫁ぎ先である村上姓を名乗ることになります(甲州武田氏は1904年に消滅します)。
京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校に進学して絵画を学び、卒業後は文展に作品を発表。いずれも高い評価を得ます。
しかし、絵画専門学校の同窓生だった土田麦僊らが文展から決別するために「国画創作協会」を設立したときには、これに参加。以後は協会の展覧会に作品を発表しています。 女性の美を追求した代表作「日高河清姫図」(1919年)、「裸婦図」(1920年)なども協会の展覧会で発表され、高評価を得ました。
こうして活躍の場を得た華岳でしたが、1921年から持病の喘息が急速に悪化。華岳の人生は早すぎる晩年へと入ることになりました。 当時、国画創作協会のメンバーは次々にヨーロッパへと旅立ち、華やかな画家生活を展開していきますが、華岳のみは活発に動けず、やがて中央画壇から距離を取り、風景画や仏画などを描くようになります。 こうして晩年を過ごした華岳は、1939年に51歳でその生涯を閉じました。
村上華岳の代表作
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「日高河清姫図」
大蛇の化身・清姫の凄惨な恋愛伝説をテーマにした作品です。
美しい青年僧・安珍に恋をした清姫は彼に拒絶され、逃げられたことを恨んで追いかけ、道成寺の巨大な鐘の中に隠れた安珍を鐘ごと蒸し焼きにしてしまう……という伝説をもとに、追いかける清姫を描いています。 恋に我を忘れた狂女として描かれることが多い清姫ですが、華岳は決して清姫にそのようなレッテルを貼りませんでした。ほっそりとした腰つき、なよなかな手足の動き、切なげな表情……彼女の姿は、悲恋を嘆きつつ、けなげに恋人を慕うピュアな女性の切実さに満ちています。 -
「裸婦図」
女性を題材にしたものとしては、これが最後の作品となりました。 どこか菩薩のような慈愛の表情を浮かべた女性が、豊満な肉体美が透けて見える薄布を身にまとい、おっとりと座った図を描いています。光沢のあるみずみずしい肉体を卑俗的なほど克明に描いて官能的なムードを濃厚に漂わせているものの、同時に聖性を感じさせる仕上がりになっています。 華岳はこの作品によって“永遠の女性”を表現したのだと、のちに語っています。
その他、「夜桜之図」「空山清高之図」などが代表作として知られています。
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