中里無庵(なかざと・むあん)1895年–1985年
中里無庵(本名:重雄)は大正期から昭和期にかけて活躍した陶芸家であり、江戸時代から続く唐津御茶碗窯の窯元・中里太郎右衛門の12代目当主でもあります。
11代目・中里太郎右衛門(天祐)の次男として生まれ、1952年に名跡を継ぎます。
当時制作が途絶えていた古唐津の再興に尽力し、また唐津焼特有の「叩き技法」を主軸にした新たな作風を確立させました。
こうした働きによって“唐津焼の第一人者”として名を馳せた無庵は、1966年に紫綬褒章を受章。また、1976年、「唐津焼」の技法で国指定の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されるなど、輝かしい功績を残しました。
そんな中里無庵は生前、茶陶を中心に、深みのある作品を多く制作しています。 中でも得意とする叩き技法を用いた壺、花瓶などは人気が高く、没後30年以上経った現在でも多くの陶芸愛好家から高く評価されています。
唐津焼の復興と普及に務めた“中興の祖”
中里無庵は1895年、由緒正しい歴史を持つ唐津焼御茶碗窯の窯元・中里家の次男として生まれました。11代目中里太郎右衛門を名乗っていた父・天祐に師事して学び、父の死後は12代目中里太郎右衛門を襲名します。
襲名後は各地の古唐津焼窯を巡り、発掘調査をはじめとする研究を進めました。 その結果、しばらく伝えられることのなかった古唐津の技法を解明。唐津焼に再興を成し遂げました。 以降、唐津焼特有の技法である「叩き技法」を用い、生命力あふれる力強い作品を次々と作り上げます。 これらの功績が高く評価された無庵は1966年、紫綬褒章を受章。さらにその10年後、「唐津焼」の分野で人間国宝に認定されました。 しかし1985年、白血病により逝去。90年の人生に幕を下ろしました。
- 1895年
- 11代目中里太郎右衛門の天祐の次男として誕生
- 1914年
- 佐賀県の工業高校別課製陶科を卒業し、唐津焼の窯業に携わる
- 1927年
- 12代目の中里太郎右衛門を襲名
- 1929年
- 古唐津焼の調査を始め、古唐津焼を再現。古唐津焼の伝統を元にしてたたき技法など独自の物を編み出す
- 1941年
- 唐津焼技法保存作家の指定を受ける
- 1969年
- 京都の大徳寺で「無庵」の号を受け、13代目中里太郎右衛門に家督を譲る
- 1976年
- 国指定の重要無形文化財保持者に認定
- 1985年
- 逝去
中里無庵の代表作
-
「斑唐津山盃」
中里太郎右衛門の名を息子・忠夫に譲る直前に制作した晩作です。 素材となる土や釉薬は強いこだわりをもって厳選されており、特に斑唐津の釉薬が威厳のある風格を感じさせます。 また、楕円形に作られた口造り、側面に付けられた溶着跡など、随所に無庵ならではの美的感覚、世界観を見ることができます。
-
「黃唐津叩き壺」
こちらも晩年に作られた作品のひとつ。 得意の「叩き技法」を用いて作られている点が、最大の特徴といえるでしょう。 叩き技法では、陶器の内側を叩くことで素地を極力薄くし、それでいて耐久性を増強することができます。 本作品も例外ではなく、どっしりと構えているかのような堂々としたフォルムとは裏腹に、素地は極めて薄く作られています。人間国宝ならではの洗練された技能が伺える作品です。
その他、「斑唐津花生」などが代表作として知られています。
※20%UP対象商品:骨董品、美術品、食器
※査定時の買取価格に20%UPを上乗せして金額をご提示させていただきます。
※店頭買取・宅配買取は本キャンペーンの対象外となります。
※キャンペーンの併用は不可です。
買取についてのご相談・ご依頼はコチラ
丁寧に対応させていただきます。
些細なことでもお気軽にお電話ください。
骨董品・古美術品の相談をする
0120-961-491
はじめての方でも安心して
ご利用いただけます
日晃堂で骨董品・古美術品を売るのはとてもカンタンです
-
01
お問い合わせ
電話、LINE、メールで
らくらく
お申し込み。 -
02
査定
出張買取は全国どこでも。
店頭や宅配もお気軽に。 -
03
お支払い
即!その場で現金お手渡し。
※宅配買取は振込
ご都合に合わせて選べる
買取方法
他店で断られた状態不良の
お品物でも
お気軽にお問合せください
独自の販売ルートを確立している日晃堂なら、以下のようなお品物でも、しっかりと査定することが可能です。
ご売却をご検討中の古美術品・骨董品がございましたら、査定は完全無料ですので、お気軽にお問合せください。
欠け
汚れ
変形
サビ
シミ
虫食い
骨董品・食器買取における対応エリア
日本全国どこからでもご利用いただけます。