鏑木清方(かぶらききよかた)1878年–1972年
鏑木清方は明治・大正・昭和にかけて活躍した日本画家です。
江戸時代の伝統的な浮世絵の系譜を受け継ぎつつ、近代絵画の洗礼を受けて洗練された美人画を得意としました。同じく美人画を得意とした伊東深水、上村松園と並び称される美人画家であり、その作品は高い価値を誇ります。
2019年、戦後に行方不明となっていた代表作「築地明石町」「新富町」「浜町河岸」が発見されたことでも話題を呼びました。
「伝統の浮世絵を洗練させた近代美人画の父
1878年、鏑木清方は東京都に生まれました。
新聞社を経営するかたわら人情本の作家としての顔も持っていた父の影響を受け、幼い頃から文学や絵画といった芸術に興味を持っていたといいます。
そんな清方は13歳で画家・水野年方に師事し、めきめきと腕を上げて17歳の頃には父が発行していた「やまと新聞」で挿絵画家としてデビューします。
そのかたわら、絵画作品の制作にも励みました。1897年に開催された第2回日本絵画協会展で出品した作品が高い評価を得てからは、第3回以降も作品を積極的に発表します。 また同時に、新聞や文芸誌に掲載される小説の挿絵を手がけていたことをきっかけに尾崎紅葉、泉鏡花といった流行作家たちと交流を深めます。 特に鏡花とは親しく付き合い、のちに彼に影響を受けて文章も盛んに発表するようになりました。 中でも随筆『こしかたの記』は、名作のひとつとして知られています。
このように、挿絵画家として、また日本画家として着々と地歩を固めていった鏑木清方。 戦前には帝国美術院、帝国芸術院の会員となり、日本画壇の若き重鎮として活躍します。 戦時中、東京大空襲を経験するなどして苦難の時を過ごしますが、絵筆を手放すことはなく、戦後も積極的に作品を生み出し、1954年には文化勲章を受章しています。
鏑木清方の代表作
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「一葉女史の墓」
泉鏡花の随筆「一葉の墓」にインスピレーションを受けて描いた作品です。 明治文学の世界に彗星のごとく現れ、珠玉の作品を遺して1896年に24歳で逝った天才女性作家・樋口一葉は、同時代の芸術家に多大な影響を与えました。鏡花や清方もまた彼女の作品を深く愛好し、その早すぎる死に際しては強い衝撃を受けています。鏡花は限りなく美しい日本語を駆使して「一葉の墓」を書き、清方は心をこめた絵を描きました。 この作品は、一葉の名が刻まれた墓石に、彼女の代表作『たけくらべ』の主人公・美登利が寄りかかっている図を描いたもの。哀しみのこもった美登利のまなざし、作品に登場した水仙の花などが楚々としたムードで描かれています。
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「築地明石町」
2019年に発見された清方の代表作のひとつです。妻の友人の女性をモデルに、佃島の入り江に立つ女性の姿を描きました。1927年に完成した作品で、当時流行していたイギリス巻きと呼ばれる髪型の美しい婦人が立ち止まり、振り向く一瞬をとらえています。 現在は東京国立近代美術館に所蔵されている作品です。
その他、「墨田河舟遊」「花びらが舞う中の婦人」などが代表作として知られています。
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