
潘天寿(はんてんじゅ)1897年–1971年

潘天寿は、20世紀半ばに活躍した画家であり、教育者でもあります。
画家としては花卉画を得意とし、大胆な構図と繊細な筆致で高い評価を得ました。
1960~1970年代の文化大革命の時代には激しい批判と迫害を受けますが、文革後は名誉が回復され、現在その作品はいずれも高い価値を誇ります。
『中国絵画史』『中国書法史』などの著述もあり、現在では名著として知られています。
花卉画を得意とした画家・教育者
1897年、潘天寿は中国浙江省に生まれました。
幼い頃から絵画に興味を持ち、あらゆる教科の中で最も得意だったという潘天寿。当時は『三国志』や『水滸伝』といった作品を好みましたが、級友たちが血沸き肉躍る物語に夢中になる一方、潘天寿は挿絵に魅せられ、模写することに熱中していたといいます。
そんな潘天寿は、教師を育成する師範大学を卒業し、教師としての道を歩み始めます。初めは小学校の教員としてキャリアをスタートさせ、のちに上海女子作業学校で教鞭をとります。 1924年、28歳となった潘天寿は、のちに名著として知られることになる『中国絵画史』の執筆を開始。古今の絵画を研究し、同時代の画家たちと交流を深めて本の内容を充実させます。 そのかたわら絵画の制作にも余念がなく、展示会に積極的に出品して好評を得ました。 翌年、『中国絵画史』が完成。好評をもって迎えられたこの書物は、現在に至るまで版を重ねています。
以後は画家として活動しつつ、教師の仕事を続けた潘天寿。 1944~1947年には国立芸術大学の学長を務め、さらに1949年からは中国芸術家協会の副主席、中央美術学院の東中国支部副主席などを歴任します。
このまま順風満帆な画家・教育者生活を送るかと思われましたが、悲劇が訪れます。 1960年代後半、文化運動として始まった文化大革命が知識人や芸術家を不当に弾圧し始めると、潘天寿もまたその毒牙にかかります。 1966年に投獄された潘天寿は、3年後に釈放されて故郷に帰されるものの迫害は続き、生活は困窮。病気の治療を満足に行うことができず、1969~1970年は寝たきりで過ごします。 そして1971年、74歳で悲劇的な生涯の幕を下ろすことになりました。
潘天寿の代表作
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「雁蕩山花」
ありふれた草花を描いた作品ですが、構図には潘天寿ならではの工夫が伺えます。 水墨の濃淡を使い、さらに優れた色彩感覚で色の配置を整え、立体感のある見事な構図の作品に仕上げています。
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「露气」
荷花(蓮の花)をモチーフにした作品です。 水墨を大胆に使って葉が茂る様子を表現する一方、蓮の花弁は繊細なタッチで描かれ、その鮮やかな色合いが画面に美しいアクセントを醸し出しています。 円熟の筆が活きた傑作です。
その他、「鷲鷹」「映日」などが代表作として知られています。
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