英一蝶(はなぶさいっちょう)1652年–1724年
英一蝶は、江戸時代中期に活躍した画家です。
軽妙洒脱な風俗画や人物画を描き、華美な文化が花ひらいた元禄時代に大人気を誇ったほか、歯に衣着せぬ物言いで政治を風刺したり、悪法として知られる「生類憐みの令」を破って島流しになったりと、反骨精神にあふれた破天荒な言動でも話題を呼びました。その作品の多くは全国の美術館に所蔵されており、現在では高い価値を誇ります。
江戸の人気絵師として活躍した反骨精神豊かな画家
英一蝶は、江戸時代中期、華麗な町人文化が隆盛を迎えようとしていた1652年に生まれました。
生家は近畿地方に領地を持っていた伊勢亀山藩の侍医(お抱え医師)を務めていましたが、一蝶が15歳の頃に一家が藩主に従って江戸に移転します。
幼少から絵画に才能を発揮していた一蝶は、藩主の命令で狩野派の絵画を学びましたが、破天荒な言動ゆえにか破門され、以後は江戸市中で町絵師として活動します。 狩野派の繊細な描写と優雅なタッチに、遊び好きな一蝶ならではの軽妙洒脱なムードを融合させた絵画は評判を呼び、下は町人から上は大名・旗本にいたるまで大人気を博しました。 また吉原遊郭に足しげく通ううち、幇間(お喋りで座を盛り上げる芸人)としても活動するようになり、この方面でも並々ならぬ才能を見せます。
そんな英一蝶は1693年、現在では不明な罪で2ヶ月間入牢。さらに1698年、流罪を宣告されて伊豆諸島の三宅島に流されました。 「生き物をみだりに殺傷してはならないと定めた生類憐みの令を破って釣りをしたから」というのが公式な理由ですが、「将軍・徳川綱吉をからかう歌を流行らせたから」「綱吉と関係が深い旗本を吉原でそそのかし、花魁を身請けさせたから」など諸説あります。 流罪は12年に及びましたが、綱吉が死去したことによる恩赦で江戸にもどることを許されました。
三宅島では盛んに絵画を制作し、島民の求めに応じて縁起物の絵馬を描いたり、江戸の情景を描いた風俗画に取り組んだりと、旺盛に活動。江戸に戻ってからも、のちの浮世絵に影響を及ぼした風俗画、人物画を数多く描き、1724年に死去するまで73年の生涯を全うしました。
英一蝶の代表作
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「布晒舞図」
おすまし顔の舞妓が“布晒しの舞”を踊り、三味線や鼓でそれを盛り上げる人々の姿が描かれています。 舞妓の赤い衣装が、白い布晒しと鮮やかなコントラストを生み、流麗で洒脱な筆致が見る人を楽しませます。流罪を宣告され、三宅島に渡った際に描かれたものと考えられています(江戸に帰ったあとに描かれたとする説もあり)。重要文化財に指定されており、現在は埼玉県の遠山美術館に所蔵されています。
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「立美人図」
元禄時代に流行した、華麗な模様をほどこした着物を着こなす女性の姿が描かれています。 やわらかな身のこなしと女性の肉体美を見事に表現した作品で、のちの浮世絵にも影響を与えたといわれています。現在は千葉市美術館に所蔵されています。
その他、「群盲撫象図」「十二天像火天図」などが代表作として知られています。
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