
瑛九(えいきゅう)1911年–1960年

瑛九は昭和期に活躍した洋画家であり、また版画家、写真家として活動した人物でもあります。
洋画、版画、写真の各分野において常に挑戦的な姿勢を崩さず、自由な芸術を追求し続けました。
洋画についてはシュールレアリズム的な前衛美術を得意としており、銅版画や写真などの技法を取り入れるなど、従来の型にとらわれない斬新な作品を多く手がけています。
そんな彼の作品からは、純粋に美術を愛し続けた瑛九の力強いメッセージ性を感じられることでしょう。
生涯を通して“自由な美術”を求め続けた美術家
瑛九は1911年、宮崎県宮崎市に生まれました。
実家は眼科医院を営んでいたものの、極度の近視のために家業を継ぐことはできず、幼少より学んでいた絵画の道に進むことを選びます。
しかし、絵画教育に疑問を感じ、日本美術学校(現・東京藝術大学)を1年経たずして退学。
その後、独学で芸術活動に専念するものの、公募展に出品した作品すべてが落選。このとき、「常に人の審査に頼る日本美術界の現状」に疑問を抱いたといいます。この経験こそが、のちの前衛的な表現に繋がっていきます。
それからは美術批評、写真批評などを書きつつ写真を学び、雑誌「フォトタイムス」に作品を寄稿。 また、フォトグラム(印画紙に物を置き、感光させて像を焼き付ける手法)を用いた、シュールリアリスティックな作品を多数制作。フォトデッサン集「眠りの自由」にまとめました。 この作品集によって、瑛九の知名度は飛躍的に向上。美術家への道を歩み始めるきっかけとなりました。
第二次世界大戦中は美術を離れて小説を手がけるものの、戦後になると再び絵画やリトグラフ、銅版画などの制作に専念するようになります。 また、その一方で新たな団体「デモクラート美術協会」を結成。日本美術界を誰でも参加できる業界にするべく、既存の階級的な美術団体を批判しました。以降、多くの著名美術家が入会することになります。 しかし、その入会した美術家たちが各分野で多大な功績を残したことで、デモクラート美術協会が新たにひとつの権威になろうとしていたことを危惧し、瑛九自ら解散の道を選択。 このことからも、瑛九が徹底して“自由な美術”を追求し続けたことがうかがえます。
瑛九の代表作
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「つばさ」
「自己を決定する仕事に取り掛かる」と言って描き始めた晩作です。 この作品の制作に取り掛かったとき、瑛九は腎臓がひどく衰弱していたといいます。まさに命を賭して完成させた、渾身の集大成といえるでしょう。 そんな本作品は、“世界の向こう側に広がる何か”を点描で描いたものです。躍動感がありながらも静謐さを感じさせる、独特の魅力を備えています。
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「田園」
「つばさ」の前に描かれた、これまた瑛九を代表する晩作のひとつ。 点描によって描かれた抽象画ではあるものの、光り輝く太陽、悠然と広がる大地を連想させる構図で描かれています。 現在、埼玉県立近代美術館の一室に展示されています。
そのほか、「雲」「ともしび」などが有名です。
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