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黒田清輝作品買取

黒田清輝の生涯

黒田清輝(くろだせいき)は、明治中期から大正後期にかけて活動した日本の洋画家であり、政治家。 本名は「きよてる」ですが、画家名としては「せいき」を用いていました。明治の洋画界を大きく革新した人物ということで、“近代洋画の父”と呼ばれています。


黒田は1866年、鹿児島城下(現・鹿児島県鹿児島市)で薩摩藩士・黒田清兼の長男として生まれました。5歳のころに伯父の子爵・黒田清綱の養子となって、東京で育ちます。 12歳の時に通った漢学塾二松学舎(現二松学舎大学)で鉛筆画や水彩画と出会って絵の腕を磨きましたが、上級学校進学を目指していた黒田は受験予備校の築地英学校に入学。 そこで英語を学んだのちに17歳で東京外国語大学に編入して仏語を学び、法律家を目指してフランスに留学します。


しかしここで、黒田の運命は大きく変わりました。 パリで画家をしていた山本芳翠や美術商の林忠正と出会い、20歳で画家を志すことを決意。フランス画家のラファエル・コランに師事しました。 その5年後には画家としての才能を開花させ、フランスの展覧会に初入賞して画壇デビューを果たします。


帰国後は、黒田が画家となったきっかけである山本から美術学校を譲り受けて、洋画家・久米桂一郎とともにその学校を「天真道場」と名を改めて絵画の指導を開始します。 また、東京美術学校西洋画科の設置に携わって教授としても後進の育成にあたります。 こうしてコランから受け継いだ、印象派の流れを汲む外光派の作風を日本に広めはじめました。 また、日本での洋画の意識の変革にも力を尽くしました。 たとえば当時、日本では西洋的な裸体画をわいせつ物であるとしていましたが、黒田らの活動によって芸術作品として受け入れられるようになったのです。


その功績が評価され、洋画家として最初となる帝室技芸員に選出され、帝国美術院院長などもつとめます。また、日本の近代洋画を大きく発展させたのちには、養父が死去したため後を継いで子爵として貴族院議員に就任して政治家としても活躍しています。


黒田清輝の代表作と作風

代表作は『裸体婦人像』。フランス女性の豊満な肉体美を美しく描写した作品ですが、発表当時、わいせつ物として論争が巻き起こり、社会問題にも発展しました。 展示中、警察が風紀を乱すものだと言って腰から下の部分に布を被せた「腰巻事件」も起きました。 そんな『裸体婦人像』にあるごとく、黒田の絵画は西洋美術の伝統である裸体モデルデッサンを中心としたアカデミックな技術を基本としています。また、画派としては“外光派”に属しています。柔らかな外光(自然光)を絵筆にのせて表現した美しい作品を、数多く残しています。

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