呉昌碩(ごしょうせき)1844年–1927年
呉昌碩は、清代末期から中華民国が成立した1920年代まで活躍した芸術家です。
絵画に堪能であったことはもちろん、詩作や書、また篆刻(印章づくり)にも秀でていたことから、「四絶(四芸に秀でた絶世の人物)」として知られます。特に篆刻は生前から海外でも評価が高く、日本の政治家も注文を寄せました。その作品は、篆刻はもとより書も、絵画も至宝というべき価値を持ち、生前から展覧会が開かれ、現在でも多くの人を魅了しています。
近代中国における芸術の巨人
呉昌碩は、清朝末期の1844年、中国浙江省に生まれました。
郷試(科挙の地方試験)の合格者を多数輩出する優れた家系に生まれ、生活は決して楽ではなかったものの、平和な幼少期を過ごします。郷試合格者で私塾に勤めていた父に書や篆刻の手ほどきを受け、16歳頃までは勉学に励む少年として才能を発揮しました。
しかし、1851年に勃発した太平天国の乱によって国は乱れ、呉昌碩の家も一家離散状態に追いやられます。最貧の生活を経験し、兄弟姉妹を失いながら、命からがらの日々を送ります。
青年期に入り、22歳で科挙に合格して官吏となり、安定した生活を手に入れるものの、呉昌碩の興味は出世よりも芸術をきわめることにありました。20代後半は全国を巡って各地の高級官僚の秘書を務めつつ、その土地で一流といわれる人々に書や絵画を学び、研鑚を積みました。 仕事の合間に作品制作にいそしみますが、その頃は書や絵画を売ってもそれほど反響はありませんでした。
そんな呉昌碩の芸術が世に認められるようになったのは、1890年代後半のこと。50代に入っていた呉昌碩は当時、上海にあって芸術家として独り立ちしていましたが(1894年に官吏生活にはピリオドを打っています)、上海の富裕層の人々に認められ、書や絵画、篆刻などがよく売れるようになります。 1900年代に入ると活動の幅が広がり、書画の収集・研究を行う「西泠印社」を設立して社長の座に就き、充実した芸術家生活を送ります。1927年に上海で死去するまで、第一線で活躍し続けました。
呉昌碩の代表作
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「牡丹水仙図」
呉昌碩の絵画の代表作です。鮮やかな牡丹とその周辺の自然風景を描いています。
素朴にして幽玄な筆致が魅力的な作品であり、昌碩が影響を受けた明代や清代初期の画家たちのエッセンスが見てとれます。 -
「臨石鼓文」
書における呉昌碩の代表作です。
呉昌碩の書は、古代に属する周王朝の時代に確立された石鼓文から発展した独特の篆書ですが、この作品にはその特徴が色濃く見られます。
その他、「墨梅図」「菊竹図」(いずれも絵画)などが代表作として知られています。
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