溥儒(ふじゅ)1896年–1964年
溥儒は、清代末期に生まれ、近代中国で活躍した画家のひとりです。
清王朝を支配した皇族(愛新覚羅)に連なる血筋の人物という異色の経歴を持ちます。清王朝崩壊後に成立した満州国において最後の皇帝(ラストエンペラー)となった愛新覚羅溥儀のいとこにあたります。
そんな溥儒は、初め天文学を学び、次いで美術を学んで才能を発揮。山水画や人物画を得意とし、国内外で権威ある賞を複数獲得して近代中国を代表する画家となりました。
その作品は、いずれも高い価値を誇ります。
また日本とも関わりが深く、戦前は一時期、東京や京都の帝国大学に講師として招かれています。その縁もあってか、作品の一部は日本の博物館にも所蔵されています。
皇族出身の博識の天才画家
1896年、溥儒は清王朝末期の中国北京で生まれました。 幼い頃から絵画や文学を好み、絵を描いたり詩を詠んだりと芸術に親しむ少年時代を送ります。 ただし、学業として初めに志したのは天文学と生物学でした。 辛亥革命によって清王朝が倒れた2年後、1914年にドイツに留学。 最新の学問を学び、天文学と生物学の2つの分野において博士号を獲得します。
その後、溥儒は進路を変更して絵画の世界に入り、1924年には北京で画壇デビューを飾ります。 中国の伝統に根ざした山水画や人物画を得意とし、特に山水画において卓抜した手腕を発揮。その名を画壇に轟かせることになりました。 最終的には、近代中国の大家といわれる張大千と並び称され、「南張北溥(南の張大千、北の溥儒)」といわれるまでになります。 1941年、45歳のときに北京芸術専科学校の教授に就任。以後は後進の指導にも力を入れました。
しかし1949年、内戦(第二次国共内戦)の末に中国共産党が中国を支配したとき、溥儒は難を逃れて台湾に移住。その後は台北に居を構え、絵画を売って生活するようになります。 優れた画家として台湾にもその名が轟いていた溥儒は、充実した後半生をこの地で過ごし、1963年に生涯を閉じました。
溥儒の代表作
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「雪中訪友図」
峻険な山嶺、青々と茂る松林、そして一面を清らかに彩る雪景色……繊細な筆致で表現された幽玄な風景の中に、友との再会を喜ぶ士大夫の姿が描かれています。 その筆遣いだけでなく優れた色彩感覚も見どころです。 松の葉、白い雪、そして友が暮らす居宅の赤い壁が見栄えよく配置されています。
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「松山茅屋図」
崖のふちに建つ茅葺きの家を、松林の中から眺めている図を描いたものです。
厳しい環境の中、逞しい暮らしを営む家の情景が松に縁どられて気高く表現されています。 描線は簡素ですが、構図の工夫や色彩感覚の鋭さも相まって品格のある作品に仕上がっています。 その他、「寒岩積雪図」などが代表作として知られています。
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