古金銀の
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処分にお困りの古銭はございませんか?
日晃堂では、コレクションを整理したいといった理由や、蔵から出てきた古金銀の山を整理したいといった内容のお問合せを日々いただいております。
古金銀とは、明治時代前に流通していた金貨、銀貨の総称で、大判、小判、一分銀、丁銀、豆板銀など貨幣価値も非常に幅広く、多くの種類を含んでいます。
日晃堂では社内独自の研修を経て骨董品と美術品の知識を有し、お客様のお品物の価値を正確に目利できる査定士が在籍しているため、価値に見合った買取価格をご提示させていただきます。 査定料などの手数料は全て無料ですので、買取価格や価値が知りたいといったお客様もお気軽にお問合せください。
古金銀の買取実績
嘉永一朱銀 安政一分銀 計10点
安政一分銀は江戸末期に通用されていた銀貨の一種です。一分銀の嚆矢となった「天保一分銀」を古一分銀、続いて鋳造されたこちらの「安政一分銀」を新一分銀と呼び、代表的な一分銀の一つです。一分銀を含む古金銀買取をお考えでしたら是非ご相談ください。
文政丁銀・天保丁銀 2点
丁銀は室町時代から江戸時代後期まで使用されていた銀貨です。一般的に硬貨といえば、額面に金額が表記されており、それが価値になりますが、当時の銀貨は秤量貨幣といい、専用の秤を使い、重さを基準に価値を決めていました。その為、左図のように金額の表記もなければ、大きさや重さも一定ではありません。
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長野県松本市
古金銀
天保一分判金 約2.83g
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三重県津市
古金銀
元禄一分判金 約4.45g
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山形県米沢市
古金銀
但馬南鐐銀 中字 約2.26g
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石川県小松市
古金銀
文政一朱金
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大阪府大阪市
古金銀
古南鐐二朱銀 新南鐐二朱銀 文政南鐐一朱銀 計3点
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福島県福島市
古金銀
安政二分判金 約5.66g
古金銀強化買取中
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慶長一分判金
慶長一分判金は1601年(慶長6年)〜1695年(元禄8年)に鋳造さていた一分判金です。慶長一分判金は徳川家康が天下を統一したことの象徴でもあり、江戸幕府の初期貨幣として重要な位置を占めています。
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元禄一分判金
慶長一分判金が改鋳され、1695年(元禄8年)~1710年(宝永7年)の間は「元禄一分判金」が鋳造されました。慶長一分判金より金品位が下がってしまいましたが、現存数が少なく価値が高いお品物です。
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宝永一分判金
宝永一分判金は1710年(宝永7年)〜1714年(正徳4年)の間に鋳造されました。金不足により慶長一分判金より大きさは小さくなってしまいましたが、それにより高い金品位に戻せています。希少性も高く、人気の高い古金銀となります。
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天保一分判金
天保一分判金は1837年(天保8年)から発行された一分判金です。天保の大飢饉などによって起きた財政赤字を補填するため改鋳が行われたと言われております。金品位はわずかに上昇したものの、量目は減りました。しかし歴史的には大変貴重な古金銀であり、価値が高いお品物です。
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文政一朱判金
文政一朱判金は1824年(文政7年)から発行された一朱金です。唯一発行された一朱金であり、通用停止以降には一朱銀に役割を奪われました。また金品位が12%ほどと世界で最も質の悪い金貨で、評判がよくありませんでした。しかし歴史的に貴重かつ現存するものも少なく、価値はしっかりあるお品物です。
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元禄二朱判金
元禄二朱判金は1697年(元禄10年)から発行された二朱金です。初めて発行された二朱金で、使い勝手が良く重宝されていました。
他の二朱金と比べ金品位が高く、発行数が少ないため大変貴重なお品物となります。 -
天保一分銀
天保一分銀は天保8年11月7日(1837年12月4日)から鋳造が始まり、12月18日(1838年1月13日)から通用開始された銀貨です。記載された額面でその貨幣の価値とする計数貨幣として発行され、使い勝手が良く当時の標準貨幣になるほど流通したお品物です。
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庄内一分銀
庄内一分銀は1868年(慶應4年)5月の約1ヵ月間で、庄内藩が銀質の悪い安政一分銀と質の良い天保一分銀を区別するため、天保一分銀のほうに「庄」を刻印した大変珍しい古金銀です。
そのため流通量も少なく、大変価値のあるお品物となっております。 -
明治一分銀
明治一分銀は江戸時代末期である1868年(慶應4年)から、明治時代の1869年(明治2年)にかけて鋳造されていた貨幣です。
「貨幣司一分銀」や「川常一分銀」、「亜鉛差一分銀」とも呼ばれます。現存数が少なく、他の一分銀より需要の高いお品物となります。
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古金銀とは?古金銀の定義
古金銀とは、主に安土桃山時代から明治時代にかけて貨幣として利用された金貨や銀貨のことを指します。
金貨では小判・大判以外に主に四種類あり、小判1両に対する金もしくは銀の量で種類が分けられています。小判の1/2両である「二分金」、1/4両である「一分金」、1/8両の「二朱金」、1/16両の「一朱金」です。また大判・小判と同じく、通貨不足や金の品位回復のため度々改鋳されました。「慶長一分判金」や「元禄一分判金」といったように、時代によりさらに枝分かれして種類があります。
古金銀は、物によっては金の含有率が高いものもあり、さらに古銭という付加価値もつくため高い価値が見込まれます。
銀貨にも同じように「一分銀・一朱銀・二朱銀」があります。その中でも二朱銀は流通期間が短いため、希少価値が高く高額で取引されています。
古金銀の歴史
古金銀の歴史
- 古金銀の始まり
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古金銀の始まりは安土桃山時代で、「丸一分金」と「額一分判」が発行されたといわれています。 その後徳川家康が三貨幣による貨幣制度を整備。慶長小判とともに「慶長一分判金」「慶長銀」が鋳造されました。
- 様々な種類の古金銀の誕生
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時が経ち元号が元禄になると、慶長金銀は改鋳され「二朱金」が新たに発行されます。またその後も改鋳によって「一朱金」や「二分判」と新しい種類の古金銀が鋳造されます。それに加え「元禄一分判金」や「宝永一分判金」など元号が変わるごとに、古金銀は一新されていきました。
その流れは明治時代まで続きますが、大判・小判と同じく新貨条例によりその歴史を閉じることとなります。
どのような古金銀でもお気軽にご相談ください
古金銀ならお気軽にご相談ください。
どのような古金銀でも、長年多くの古金銀を査定してきた日晃堂の査定士がしっかりと査定させていただきます。査定の結果、高額な価値の古金銀は相応のお値段でお買取させていただきます。古金銀の種類は問いません。
どのような古金銀でも査定料や訪問料などは一切いただきませんので、ご売却をお考えの古金銀がございましたらお気軽にご相談ください。
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