石本正(いしもとしょう)1920年–2015年
石本正は、激動の昭和から平成時代に数多くの名作を残した日本画家です。
少女や裸婦などの女性画を得意とし、心情までもリアルに描く画家として大きな注目を浴びました。そんな石本ですが、対象となるモデルは人物だけにとどまることなく、風景、動物、植物と多岐にわたりました。
石本の原動力は「自分が描きたいものを描く」ということであったため、作風が変わることもしばしば。固定観念にとらわれることなく「美」を追求し続けた画家として評価されています。
また多くの作品が名誉ある賞を受賞しましたが、1971年以降はすべての賞を辞退。95歳で亡くなるまで名誉や地位を求めず、純粋に絵を描くことを愛し続けました。
「リアリティー」を追求した日本有数の日本画家
1920年7月3日、現在の島根県浜田市に生まれた石本正。
20歳の頃、京都市立絵画専門学校日本画家予科に入学しました。
しかし学校の教育方針や教育に賛同できなかった石本はあまり学校に行かず、のちに画家となった同級生の三上誠とさまざまな場所でスケッチに明け暮れていたというエピソードが残っています。
1942年、在学中に徴兵された石本は専門学校を繰り上げ卒業して中国に渡り、1945年帰国。終戦後は拠点を京都とし、作品づくりに没頭しました。 1947年、第3回日本美術展覧会に「三人の少女」が初入選したことで、画家としての道が開きました。 1948年には第4回京都市美術展に「風景」を出品し、京展賞第一席を受賞。さらに1949年には京都市立美術専門学校の助手に、翌年には京都市立美術大学の助手となります。また石本は、当時大学助教授だった秋野不矩に勧められ第3回創造美術展に「五条坂」「踊子」を出品し、入選を果たしました。
1959年には石本正、加山又造、横山操といった日本画家が「大作を生み出す研究会のような場所」として「村越画廊」を発足。このとき石本は「横臥舞妓」を発表し、大きな注目を浴びました。
こうして日本画界を牽引する存在となった石本でしたが、1971年にすべての賞を辞退。以後は美術学校の教授として、未来の画家の育成に勤しみました。また、自身の出身地に美術館を開館し、各地で展覧会を開催するなど「発信する側」として活躍しながらも、「自分が描きたいもの」を描き続けました。
石本正の代表作
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「三人の少女」
石本が画家としてその名を広めるきっかけとなった作品です。
この作品を描いていた頃、石本はルネサンス期に活躍した画家ボッティチェリに憧れ、インスピレーションを受けていました。この作品もそのうちの一つとされています。 -
「横臥舞妓」
舞妓といえば、白塗りの化粧に美しい着物をまとっている姿を連想しますが、石本はその「着物」と「化粧」を排除し、裸の状態で横たわる舞妓を描きました。 世の中に衝撃を与えましたが、女性たちの飾り気のない表情を最大限に表現しているとして評価されました。
その他、「高原」「母子」などが代表作として知られています。
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