秋野不矩(あきのふく)1908年–2001年
秋野不矩は、昭和初期から平成の半ばまで活躍した日本画家です。
風景画や人物画を得意とし、独特の色彩感覚で画情を描出していることが特徴として挙げられます。写実主義から距離を置き、イマジネーションを重視してのびやかな表現を追求しました。
また50代半ばで初めて訪れたインドの光景に魅せられ、その風景やそこで生きる人々を主題とした作品を数多く描いたことも特徴として挙げられます。作品の多くは秋野不矩美術館などに所蔵されており、いずれも高い価値を誇ります。
インドを愛した女性画家
1908年、秋野不矩は静岡県に生まれました。
生家は経済的に余裕がなく、また兄弟姉妹が多かったこともあって子どもの玩具に事欠いており、不矩は鉛筆を手に近所の川の写生を行うなど、絵に親しむ少女時代を送ります。
学校は教師を育成する女子師範学校を選び、卒業後は教師となりますが、仕事が肌に合わず20歳になる前に辞職。画家を志して日本画家の石井林響、西山翠嶂に学びます。 翠嶂の画塾は京都にあったので、ちょうど京都に嫁いでいた姉のもとに身を寄せて学んでいます。 1930年、22歳の不矩は早くも才能をあらわし、帝展に出品して初入選。以後は官立の展覧会で次々に賞を獲得し、戦前・戦中における女性画家の第一人者として活躍しました。
しかし戦後は官立の展覧会に出品することをやめ、上村松篁や沢宏靱といった同世代の画家たちとともに「創造美術(創画会)」を結成。以後は創造美術主催の展覧会で作品を発表するようになります。 また、1949年には京都市立美術専門学校(現在の京都市立芸術大学)の助教授に就任。若い才能を育てながら、自らも絵画制作に打ち込みます。
そして50代半ばの1962年、人生の転機を迎えました。 インドのビスバ・バーラティー大学の客員教授として、インドに赴任。その国の風景や文化に魅せられ、以後は代表作となる「インド女性」をはじめ、インドを題材にした作品を描くようになります。 客員教授の任期が切れたあともたびたびインドを訪れ、数多くの作品を生み出しました。それらの作品は、積極的に開催していた個展で発表され、いずれも高評価を得ています。
そんな秋野不矩は、1999年に文化勲章を受章。 日本を代表する女性画家のひとりとなった2年後の2001年、世を去りました。
秋野不矩の代表作
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「インド女性」
1964年、秋野不矩展で発表された作品です。 目を射るような、鮮やかな真紅のパシュミナストールを巻いたインド人の女性を描いています。 背景の金は緻密な塗り重ねによって重厚感を増し、ストールの真紅とコントラストをなしています。描写は抑制的ですが、若く美しい女性の表情を生き生きと伝えている点も見逃せないところです。
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「ガンガー」
タイトルの“ガンガー”とは、インドの大河ガンジスのこと。1979年に発表されました。 この作品では、神聖視される混沌とした広大な大河を、きらめく金にも似た黄土色で表現。そのゆったりした流れを、重厚な筆致で表現しています。また上方には雲がたなびき、渦巻いた暗雲からは銀の糸のような雨がきらめき、下方ではカワイルカが跳ね、身を躍らせている姿が描かれています。 秋野不矩は、このほかにも1992年の「渡河」などでガンジス川を画題にしています。
その他、「廻廊」「砂漠のガイド」などが代表作として知られています。
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