織田有楽斎作竹茶杓の買取実績とお客様の声
査定士から聞いたお客様とのやりとりの一部を抜粋して記事にしております。
織田有楽斎 茶杓
佐賀県鳥栖市にお住いのお客様より茶道具全般を買取させていただきました。少々共箱などに傷みが見受けられるものもあったものの、品物自体はさほど傷みも見受けられませんでしたので、提示できる最高の額までは頑張らせていただきました。骨董品は傷みがあったり備品がないものはその分価格が下がってしまいますが、お品物の状態がいいとその分しっかり価値がつきます。
ご売却頂いたお客様の声
引っ越しをするという友人の家に引っ越しの手伝いに行きました。立派な倉庫がある家だったのですが、手伝っていると何点かそれっぽいものが。どうするのか尋ねたところ、業者を呼んでる暇もないから持って行ってくれてもいいし処分してもいいとのことで、早速引き取ったものを日晃堂さんに見て頂きました。茶碗とかが高いかなと思っていたのですが、まさか茶杓が信長公の弟である有楽斎が作ったものだったとは思いませんでした。一応友人にも再度確認を取って買取ってもらいましたが、このお金はその友人と何か美味しいもの食べたりするのに使えたらなと思います。
- 田有楽斎の歴史
- 織田信秀の11男としてして1547年に誕生、信長とは13歳年の離れた弟にあたる人物です。幼少期の資料はなく不明点の多い人物ですが、本能寺の変でからくも逃げ延びた有楽斎は豊臣秀吉に仕え、後に千利休に茶道を学びます。利休十哲の内の一人に数えられる有楽斎は秀吉亡き後も茶人として精力的に活動を行いました。京都には正伝院を再建し、院内には如庵の建設も行いました。正伝院に関しては明治期に正伝永源院と名を改められており、現在では長益(有楽斎の名)夫婦の墓があります。大坂冬の陣の後は豊臣と徳川の間を取り持ち役としてなど尽力しましたが、再度不穏な空気に包まれた大阪城から徳川家の許しを得て有楽斎は京都に隠居します。そこからはほぼ茶道に専念した余生を過ごしました。
- 茶人としての織田有楽斎
- 茶人であった古田織部が内通の嫌疑をかけられ切腹を命じられた後、有楽斎は細川三斎とともに茶道界の中心人物となりました。現在でも有楽斎の流派は大切にされており、抹茶は「有楽流」煎茶は「織田流」として受け継がれています。有楽斎の流派はまず「客をもてなす」ということを重んじる流派です。有楽斎のその心を大事にした織田流では3つの口伝が今でも大事に伝えられています。「一.相手に窮屈な思いをさせぬこと」「一.相手に恥を掛かせないこと」「一.相手に満足感を与えること」武将としてではなく茶人として生き、余生をすごした有楽斎の茶への想いは今もなお、現代の茶人たちによって引き継がれているのです。
※20%UP対象商品:骨董品、美術品、食器
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