千利休作茶杓の買取実績とお客様の声

千利休 茶杓
福井県越前市のお客様より千利休作である茶杓をお買取りいたしました。まさか私自身も千利休が作った茶杓に出会えると思っておらず、有難いめぐり合わせでした。千利休といえば誰もが知っている茶人です。そんな利休が作った茶杓で覚々斎の箱書もともにあり、引き取らせていただきました。もちろん、買取額もしっかりと付けさせていただきました。この度はご利用ありがとうございました。
ご売却頂いたお客様の声
親から片付けを頼まれ、古めかしい箱が倉庫の中から出てきてなんだろうと思ったら箱の中に箱。開けていくと一本の棒が入ってました。全く何に使う道具なのか分からなく、価値があるのかないのかもわからないままこれだけ厳重に箱の中に入っているのだからいいものに違いないと思い、両親にも話した上でネットで検索してよさげだった日晃堂さんに来てもらいました。品物を見てもらったところ千利休が作った茶道の道具に使うものだったらしく。そんな著名人が作ったものがまさか倉庫に眠っているとは思いませんでした。
千利休について
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千利休の歴史
千利休といえば小学校の社会の教科書にもでてくるほど桃山時代の茶人として非常に有名です。大阪堺の魚問屋で生まれた利休。当時の堺は戦国時代でしたが、大名に支配されることがなく貿易で栄える都市のようなものでした。商人が政治を立てる堺でも利休の父は名の知れた高名な商人で、利休は店の跡取りとし、教養や品位などを養うため茶の道を歩み始めたのがすべての発端でした。当時茶の湯では非常に有名だった武野紹鴎の門を18歳の時に叩き、それから5年後の23歳の時に初めての茶会を開きました。紹鴎が心の師として仰いでいた村田珠光が説いていた「不足の美」を採り込み、茶会の簡素化に努め、利休はこれをさらに洗練し、村田珠光から実に100年を経て「侘び茶」を大成させました。
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千利休と竹茶杓について
利休が生み出したのは侘茶の文化だけではありません。本来抹茶を点てて茶を飲むというのは日本発祥ではなく、中国より伝わった文化でした。その時にはまだ竹茶杓というのもはなく、金・銀・象牙・鼈甲などの素材で作られるのが主だったのです。侘茶の祖である村田珠光の時代に恐らくベースはあり、後に紹鴎たちが煤竹の茶杓を展開していったと考えられます。しかし、この段階ではまだ中国風・日本風といった形で日本独自の茶杓というものはありませんでした。そこで日本独自の竹茶杓を完成させたのが利休です。従来の節無し又は節で切り止めた茶杓を改め、真竹の白竹による中節茶杓が日本独自の茶杓の条件となりました。

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