堀川国広 刀の買取実績とお客様の声
査定士から聞いたお客様とのやりとりの一部を抜粋して記事にしております。
堀川国広 刀
茨城県日立市にお住いのお客様より堀川国広に刀をお買取りさせていただきました。国広の他にも何点か骨董品を背景させていただきましたが、どの骨董品もとても綺麗に保存されており、拝見させていただいた私もわくわくすることができました。国広といえば安土桃山時代に活躍した刀工で、堀川派の祖としてもとても有名な名工です。そんな国広の刀も他の骨董品と同様に綺麗な状態で保存されていましたのでその分きっちり買取額をつけさせていただきました。骨董品は綺麗な状態で保存されている分買取価格にもきっちり反映されます。
ご売却頂いたお客様の声
娘夫婦と一緒に住むことになり、越してくるとのことで物置となっていた部屋を急遽片すことになりました。元々夫婦共々骨董品を集めるのが趣味なのですが、飾らないものは物置部屋にしまっていました。何点かは友人に譲ったりしたのですが、日本刀は手入れもあってか引き取り手が見つからず、そんな時に日晃堂さんの事をききました。他の買取店を利用したことはあったのですが、今までで一番骨董品に詳しい人に出会った気がします。日本刀の他にも骨董品を何点か買取っていただきました。
- 堀川国広の歴史
- 日向国(現在の宮崎県)の飫肥で生まれた堀川国広は、桃山時代を代表する刀工の一人であり、新刀初期の大勢力だった堀川派の祖としても非常に有名な人物です。本名の姓は田中で、信濃守を受領しますが、もとは日向国飫肥の伊藤家に仕える家臣でした。伊藤家が没落後は諸国を流浪し、その後に国広は刀工の道へと歩み古屋で鍛刀することになります。さらに当時の美濃伝や相州伝を学び、1590年には野州足利学校にて城主であった長尾顕長のために鍛刀を行いました。また太閤検地に参加したり、ある一説によれば文禄・慶長の役にも加わったと言われています。1599年には京都一条堀川に定住し、その地で正弘や在吉、国正、国安、国貞、国助など数多くの門弟を育て上げ国広は堀川派を興したのです。
- 堀川国広の特徴
- 前述の通り、堀川国広は新刀初期の大勢力でした、慶長新刀である姿は身幅は広く反りは深いものとなっています。堀川国広の刀は土方歳三の刀として有名ですので脇差のイメージも強いかもしれませんが、太刀、刀、短刀など様々なものを手がけました。地肌の鍛え方は伝法によって異なりますが、国広の刀は木の板模様に似ている小板目肌で、この地肌は相州伝系に多いとされている地肌になります。堀川時代になると有名な刀工、正宗をはじめとし、相州伝を模したりされることが多く、この時期の作品は「堀川打」や「慶長打」と称されています。また、国広とその弟子たちは彫物の名手としても非常に有名で、梵字など素剣を彫ったものなど様々なものが現存しています。
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