糸園和三郎(いとぞのわさぶろう)1911年–2001年
糸園和三郎は、昭和から平成にかけて活躍した洋画家の1人です。 少年時代に骨髄炎を発病し、中学への進学を絶たれたものの、父の勧めで画家を志して上京。 以後、早い段階から才能の片鱗を見せ始め、数々の展覧会で輝かしい功績を残しました。 また、第二次世界大戦勃発にともない、戦時下でも創作活動に取り組めるように新人画会を結成。 苦境に立たされても挫折することなく、命尽きるまで自身の納得のいく画家人生を歩み続けました。 その一方で、糸園は教師としても活躍しており、後進の指導にも励みました。
そんな糸園の作品は、見る者に強烈なインパクトを与えるものではなく、心に染み入るようなぬくもりあふれる作風で描かれているのが特徴です。 晩年、視力のほとんどを失ってからは作風によりいっそうの深みを増しており、没後の現在も多くの人を魅了しています。
最後まで自身のスタイルを貫き通した洋画家
糸園和三郎は1911年、大分県中津町(現・中津市)に生まれました。 中津南部尋常小学校在学中に骨髄炎を発病。手術を受けて小学校を卒業するものの、進学は断念します。 そんな失意の中、父の勧めで1627年に画家を志して兄と上京。“人物写実画の名手”と名高い前田寛治の作品に感銘を受け、彼が顧問を務める前田写実研究所に入門します。 それからわずか数年で頭角を現した糸園は、1930年開催の春陽会展に「人物」「赤い百合」といった作品を出品。見事に初入選を果たしました。また、翌年の第1回独立美術協会展でも入選を果たしています。
その後も多くの著名画家たちと交流を深めつつ、順調に画家人生を歩んでいた糸園でしたが、1939年に勃発した第二次世界大戦によって状況は一転。自身の思うように活動できなくなります。 しかし、この状況下でも糸園は諦めず、むしろさらに創作意欲を燃やしたといいます。 また1943年、麻生三郎や靉光、寺田政明といった交流の深い画家たちとともに、「戦時下においても自主的な表現活動を行うための場」として新人画会を結成しました。 こうして常に意欲的な姿勢を見せた糸園のスタイルは戦後も変わらず、晩年、両目の視力をほとんど失ってもなお創作活動を続けたといいます。
糸園和三郎の代表作
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「黄いろい水」
ベトナム戦争にインスピレーションを受けて描いた作品であり、1968年開催の第8回現代日本美術展における受賞作でもあります。 横一直線に黄色いラインが引かれ、その上にうずくまる人とクシャクシャになったベトナムの地図が描かれています。 単に戦争を批判しているのではなく、糸園独自の視点、世界観で崩れ行く世界の一端を取り上げているかのようです。
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「鳥をとらえる女」
戦後しばらくして描かれた作品であり、1953年開催の第17回自由美術家協会展に出品されたものです。 平和の象徴とされる鳩をグッと掴む女性の姿が力強く、大胆なフォルムで描かれています。その様子はまるで、戦後を生きる人々の哀情や希望、生命力の強さを表現しているかのようです。
そのほか、「黒い水」「母子像」などが代表作として知られています。
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