安井曽太郎(やすいそうたろう)1888年–1955年
安井曽太郎は大正初期から昭和の半ばにかけて活躍した洋画家であり、特に昭和期の日本洋画界に大きな影響を与えた人物です。
海外の著名な画家から刺激を受けつつ、のちに“安井様式”と呼ばれる独自の画法を編み出しました。
そんな安井は、人物画や肖像画、風景画など幅広いジャンルの作品を手がけています。 その中でも特に得意としていたのが肖像画です。モデルの人となりや生活様式が伝わってくるほどの高いデッサン力で描き、鮮やかでありながらも主張しすぎない絶妙な色遣いで塗り上げられた作品が多く見られます。
昭和期の日本洋画壇を代表する巨匠
安井曽太郎は1888年、京都市中京区の木綿問屋で五男として生まれました。
家業は継がず、両親の反対を押し切って1903年に聖護院洋画研究所(現・関西美術院)に入所。浅井忠や鹿子木孟郎といった洋画家に師事し、絵の基礎を学びます。
その4年後、先輩画家にあたる津田青楓とともに渡欧しますが、この経験が彼の画家人生を変える大きなターニングポイントになりました。世界の洋画家たちが描いた名作に深い感銘を受け、これまで以上に絵の研究に取り組むようになります。 特に安井の画家魂に火をつけたのは、フランスの有名画家ポール・セザンヌでした。セザンヌは従来の常識を覆し、独自の絵画様式を確立させた画家です。その型破りで柔軟な発想力に感化された安井は、研究に研究を重ねて独自のリアリズムを確立させていきました。 この長年の研究により、1930年頃に新たな画法“安井様式”が完成。以降、この画法を用い、「婦人像」をはじめとする鮮やかな色調の肖像油絵を次々と生み出します。
その後、1936年に有馬生馬や山下新太郎などの画家たちと一水会を結成。その委員として芸術活動を行うようになります。 また、1944年には東京美術学校(現・東京藝術大学)で教壇に立ち、1946年には彫刻家・長谷秀雄が設立した蕨画塾の講師を務めるなど、後世を担う若手の育成にも励みました。 そして1952年、こうした長年の功績が讃えられて文化勲章を受章しますが、その3年後、肺炎により67歳で息を引き取りました。
安井曽太郎の代表作
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「金蓉」
上海総領事の令嬢・小田切峰子をモデルに、肘掛け椅子に腰かけた美女の姿を描いた作品です。 リアリティにあふれており、本当に横目でこちらを見ながら微笑みかけているかのような錯覚にとらわれます。 また、頬や口紅などの色合いに一切の不自然さが見られないのも特徴で、安井の洗練されたデッサン力がうかがえます。 そのほか、斜めから描くという当時にしては珍しい構図も話題を呼びました。
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「外房風景」
生前、安井が好んでよく宿泊したという旅館「江澤館」4階からの眺望を描いた作品です。 安井はこの景色を気に入り、宿泊中は誰も近づけることなく部屋にこもって写生に没頭したといいます。 白を多用した爽やかな構図に仕上げられており、心地よい海風さえ感じさせる傑作です。
そのほか、「孔雀と女」「T先生の像」などが代表作として知られています。
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