蘇軾・蘇東坡(そしょく・そとうば)1037年–1101年
蘇軾は、「東坡居士」と号して活躍した北宋時代の詩人・書家です。 役人を務める中で盛んに政治批判を行ったことから派閥争いに巻き込まれ、生涯にわたって数度の流刑に処せられた不遇の詩人ですが、そのような境遇の中からのちに傑作といわれる詩が数多く生まれました。現存する本人の手による書は多くありませんが、いずれも高い価値を誇ります。
ちなみに、号の「東坡居士」は、中華料理のメニュー「トンポーロー(東坡肉)」の命名の由来にもなっています。もともとグルメで知られていた蘇軾は、流刑先の名物だった豚の調理に熱中し、トンポーローの原型となる料理を完成させた……そんな逸話が残されています。
不遇の生涯を送った宋代中国の大詩人
1037年、蘇軾は現在の中国四川省に生まれました。
蘇氏は優秀な官僚を輩出する名家で、蘇軾もまた1059年に科挙をパスして進士となり、官僚として順調に出世街道を邁進します。
しかし、40代に入ろうかというところで政争に巻き込まれ、出世の道は絶たれます。 当時の中国では、国を立て直すために改革を進めようとする「新法党」と保守派の「旧法党」が争っており、蘇軾は新法党を厳しく批判する立場にありました。 そんな中、詩人としても活動していた蘇軾の作品が新法党に取り上げられ、「皇帝を批判している」という嫌疑をかけられます。言いがかりのようなものではありましたが、蘇軾は流刑に処されて官職を解かれ、黄州(現在の江蘇省)に流されることになります。
その地において、蘇軾は不遇な境涯を嘆きつつ日常に慰めを求め、生来のグルメ好きな性格を活かして食を追求し、優れた詩を数多く作成しました。 その中で、のちに多くの詩人や書家に影響を与えた「赤壁賦」や「黄州寒食詩巻」などが生まれました。 特に「赤壁賦」には、ユーモアともいうべき明るい一面が見られるのが特徴です。
その後、蘇軾は中央で旧法党が勢いを盛り返したり、再び新法党が台頭したりする中で、都に呼び戻されたり左遷されたりと振り回される後半生を送ります。 1101年に亡くなりますが、そのときはちょうど蘇軾の名誉が回復され、都に戻る途上のことでした。
蘇軾・蘇東坡の代表作
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「赤壁賦」
流刑に処せられたときに詠まれた詩で、『三国志』に描かれた「赤壁の戦い」をモチーフにしています。 前後編に分かれた詩であり、不遇にありつつも人生に悲観せず喜びを覚えるという内容を格調高い文体で描いています。
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「黄州寒食詩巻」
こちらもまた流刑中に詠まれた詩ですが、「赤壁賦」とは異なり寂しい心情を言葉に託しています。
かつて中国では、1年で最も寒い冬至から105日が経過すると風が強く、火事が起こりやすいといわれており、その日は火を使わず寒食(作り置きの冷たい食事)のみを食べるという風習がありました(寒食節)。 蘇軾は流刑3年目の寒食節を迎えた日に、寂しさにとらわれてこの詩を着想し、書にあらわしました。現在は北京の故宮博物院に所蔵されています。その他、蘇軾の作品は『蘇軾全集校注』などで見ることができます。
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