良寛(りょうかん)1758年‐1831年
良寛は江戸時代後期の僧で、書家、歌人としても活躍した人物です。
生涯で残した歌の数は1400首、漢詩は600首といわれており、個性の強さが際立つ書風は美術界でも高く評価されています。
一般の人々とも交流を行い、近所の子どもと楽しく遊んでいたという良寛。書の特徴は線が細く、「力強さ」「威厳」といったものとは無縁であること。一見素朴で繊細に見えるその書風は各界で高く評価され、現代の書道家からも「真似できない」「唯一無二の書」と高く評価されています。
多くの人々に慕われた良寛
良寛(本名・山本栄蔵)は越後国出雲崎町(現在の新潟県出雲崎町)の名家の長男として生まれました。
良寛は家の跡継ぎとして見習いをはじめますが、この頃は全国で天災、凶作が問題となっており、各地で餓死者が出ている状態でした。こうなると人々の心は荒み、犯罪、争いが問題となりますが、良寛の村もこうした悪循環から抜け出せない状況にありました。
良寛は名主見習いという立場で盗人の処刑などに立ち会っているうちに「この世は救いのない人間がいる哀れな世界なのだ」と感じるようになり、18歳で出家を決意したといいます。
こうして恵まれた環境、家柄を自ら捨てた良寛は円通寺(岡山県倉敷市)の国仙和尚に師事し、12年間もの長い時間を修行にあてました。
1790年、一人前の僧として「印加」を受けた良寛は全国を巡る旅に出ますが、父の訃報を受け地元に帰郷します。しばらく乞食僧として過ごしましたが、48歳になり国上寺(新潟県燕市)の五合庵に定住。ここでは和歌を詠んだり、村の子どもたちと日が暮れるまで遊ぶなど、自由に過ごしました。庶民がわかる言葉で説法するなどし、人望を集めた良寛。晩年は弟子の貞心尼(ていしんに)と歌のやり取りを行い、漢詩や俳句、俗謡などを好んだといいます。
主な作品について
僧としてある傍ら、書の達人としての一面も持っていた良寛は漢詩、和歌を多数残しました。 その中のひとつに「たくほどは風がもてくる落葉かな(訳「生きてゆくには自然の恵みがあれば十分で、お金も地位も名誉も必要ありません」)」という詩がありますが、これは長岡藩主が「長岡に来ないか?」と誘った際に詠んだ歌で、多くを求めない良寛らしさや丁重に断る優しい性格がにじみ出ています。 また、晩年一緒に過ごした貞心尼は弟子入りのときに和歌で入門を申し込みました。これに対しても和歌で返答した良寛。以降も歌を詠み続けたふたりの作品は「はちすの露」という和歌集にまとめられました。
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