長谷川潔(はせがわきよし)1891年-1980年
長谷川潔は、フランスで活躍した銅版画家です。
1918年にフランスに渡り、メゾチントという古典版画技法を研究し、独自の技法を確立しました。
竹取物語の挿絵や、日常の静物や風景などを描き、さまざまな展覧会や個展で確固たる地位を築きました。
象徴ともいえる「黒」の表現や、その幻想的な世界観で、日本とフランス両国から高い評価を得ています。
パリに生きた銅版画の巨匠
長谷川潔は1891年に横浜で生まれました。
銀行家の裕福な家庭に育ち、父から書や日本画などを教えられ、画家としての素質を培いました。
両親が10代で相次いで亡くなるという不幸に見舞われますが、叔父から外交官を勧められ勉学に励みます。
しかし、病弱だったため身体を壊してしまい、美術の道へ進むこととなったのです。
その後、画家になるために黒田清輝や藤島武二から指導を受けました。
また、銅版画に興味を持つと、フランスから画材を取り寄せ、バーナード・リーチから銅版画技法を学びました。
1918年、27歳で日本を発ちフランスに到着した後は、健康回復に向けて南フランスで療養の日々を過ごします。 その間には油彩画やスケッチ、版画技法の習得に努め、渡仏から3年後にパリ画壇デビューを果たしたのです。 当時フランスでは古典銅版画は廃れた存在でありましたが、メゾチント技法を用いた作品はパリ画壇から高い評価を受けました。
戦後、制作を再開すると銅版画に没頭し、メゾチントのみならず多用な技法を駆使した作品を発表します。
晩年には「黒には7色の色がある」と語り、その強いこだわりから「黒の版画家」と称されました。
信頼していた摺師・ケネヴィルが亡くなり、1970年の「横顔」を最後に版画家としての活動を終えました。
こうして一度も日本に帰国することなく、フランスで活動し続けた長谷川潔は、1980年にその生涯を閉じました。
長谷川潔の代表作
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「アレキサンドル三世橋とフランスの飛行船」
この作品は、当時師事していた伊藤清永の長女をモデルにしたもので、ロッキングチェアに揺られて眠る少女の姿を描いています。 1954年、19歳のときに日展で初入選を果たし、長谷川潔が写実版画の道を歩み始めた原点とも言える作品です。 部屋の窓から差し込む光が少女の白いワンピースと肌をやさしく照らし、穏やかな表情を浮かべます。 窓の外の植物やテーブルクロスの色彩は落ち着いたトーンでまとまり、少女を際立たせます。
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「草花とアカリョム」
1969年に制作したメゾチントの作品です。
晩年期にはこのマニエール・ノワール(黒の技法)を独自に発展させて取り組んだ、深い黒の世界を表現しました。 「アカリョム」とはフランス語で水槽を意味し、長谷川潔が好んだモチーフのひとつです。 花瓶に挿した草花と、水槽の中を泳ぐ魚が描かれた不思議な光景に一見戸惑います。 花瓶と水槽は同じ水によって生命を支えられているという長谷川潔の思想が反映されています。
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