長野垤志作霰地紋丸釜の買取実績とお客様の声

長野垤志 霰地紋丸釜
徳島県阿南市にお住いの方より長野垤志作の霰地紋丸釜をお買取りしました。霰釜には種類があり、小霰、大霰、鬼霰など粒の大小が違いや立の低いもの、高いものなど様々な種類があり、これが部分的に施されたものは時代が下がるといわれています。今回お買取りさせて頂いた釜は使用された痕跡がはっきり残っており、傷などが見受けられましたが共箱もあり頑張れる買取額を精一杯付けさせていただきました。
蔵の中からいくつか茶道具を見つけたのですが、重さもあり出張買取を日晃堂さんにお願いしました。使用されている茶道具だったのであまり金額はつかないだろうなと思っていたのですが、査定員の方がしっかり説明して下さった上で想像以上の金額を付けてくださり即決で売りました。蔵も片付き利用して良かったです。
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長野垤志の歴史
人間国宝にもなっている長野垤志は、昭和に活躍した釜師。最初は洋画家を目指した長野垤志でしたが、鋳金に転じ香取秀真(歌人・鋳金家)に師事した後、名古屋で釜師をしていた伊藤一正の事を知り、茶釜の研究を始めました。古作の釜に使われている様式や技法を取り込み、現代式に活かしました。展示会に出展し1927年には帝展にて初の入選。『青銅方盤』が特選になるなど数々の賞を取るだけではなく、垤志自身も理事・審査員と務め活躍しました。
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長野垤志の特徴
花瓶、置物、梵鐘など数々の物を手掛けた垤志の茶釜は非常に高い芸術を持つものが多い事が特徴です。研究を重ねた垤志の茶釜は格調のある現代茶の湯釜を生みだしていきました。現代における釜造りに注力する一方で、作品としての釜造りも行っていました。垤志が目指した作品は、茶湯世界が追及する美や情緒、使い勝手に伴う寸法の定まりがある所謂「茶湯世界が求めるモノ」とは必ずしも合わないという距離があり、作品発表は専ら展覧会だったといいます。
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現代における長野垤志の釜
初代長野垤志の意志は現在二代目長野垤志(本名:長野裕)によって引き継がれています。茶道具と聞くと格式、伝統があるものというイメージが強くありますが、釜自体には「こうしなければならない」といった明確な決まりはないとされています。(千利休以降は様々な流儀があるため、流儀に倣った枠は存在します)江戸時代中期までの茶釜はオーダーメイドで個人の好みで茶釜を作っていた背景があり、長野家は現代の枠組みにハマらないデザインや模様など新しいものを取り入れ、高い評価を得続けています。
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