
祝允明(しゅくいんめい)1460年–1526年

祝允名は、明代中期の中国で活躍した書家です。
のちに「枝山」「枝指山」と号しましたが、これは多指症で右手の指が6本あったことに由来しているといわれています。自らの手を木の枝に見立てた号であり、諧謔家であったことが伺えます。
そんな祝允名は遊興を好み、特に酒をこよなく愛しましたが、書のことになると確固たるポリシーを持ってのぞむ人物でもありました。過去の大家たちに学び、各時代の書体を完璧に書きこなす天才肌の書家であり、優れた作品を数多く残しています。その作品は、中国においては故宮博物院などに所蔵されており、高い価値を誇ります。
書と酒を好んだ放蕩の天才書家
1460年、祝允名は現在の中国江蘇省に生まれました。
幼い頃から“神童”というべき並外れた頭脳とセンスを誇る子であり、9歳にして詩作を試みて天才の片鱗を見せたといわれています。
しかし、正統的な学問はやや苦手だったらしく、32歳の頃に科挙の地方試験には受かるものの、進士の試験には合格できず、明王朝の中央官僚になることはできませんでした。
とはいえ、祝允名は「官僚になる」「出世する」といったことにはあまり執着しない人物だったようです。 1514年、54歳のときに現在の広東省興寧市の知事に、さらに翌年には現在の南京市の通判(行政監督官)に任じられますが、このあたりで宮仕えには見切りをつけたらしく、1年後には病と称して隠遁生活に入ります。
以後の祝允名は、悠々自適の日々を送りつつ書の道に没頭し、優れた作品を数多く残しました。 過去の大家たちの書風を絶妙にミックスさせて独自の境地を開き、書の発展に寄与したといわれています。
祝允明の代表作
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「和陶飲酒詩」
40代から60代にかけて、祝允名はこの詩を何度も書にしています。 よほど詩句が気に入ったらしいことが推察されますが、だからといってやみくもに書き飛ばしていたわけではなく、1作ごとに書家としてこだわりを持って取り組んでいます。 66歳の頃に書写された作品は、三国時代に確立したといわれる「鍾繇の楷書」を基調として格調高い筆致で書かれました。
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「草書前後赤壁賦巻」
北宋時代の政治家・書家・詩人の蘇軾による詩『前後赤壁賦』を、書に起こした作品です。 かつて蘇軾は、作成した詩が王朝を批判するものとして流罪に処せられたことがあり、そのさなかに鬱屈した心を反映した詩を数多く書きましたが、これもまたそのひとつです。流された先にあった「赤鼻磯」から三国志に描かれた「赤壁の戦い」を想起した蘇軾は、そのときの心情を散文詩で表現しました。 祝允名はこの詩をたいへん気に入って何度も書の題材に選んでおり、東京国立博物館に所蔵されている「草書前後赤壁賦巻」においても、心のこもった流麗な草書で表現しています。
その他、「書千字文」「題楊季静小像贊」などが代表作として知られています。
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