黄冑(こうちゅう)1925年–1997年
黄冑は、現代中国における水墨画の巨匠といわれる画家のひとりです。
人物画や動物画、風俗画などを手がけ、生き生きとした人や動物の息吹を絵筆で表現することを得意としました。動物画では特に「驢馬(ロバ)」を多く描き、人物画・風俗画では中国大陸の各地で生きる少数民族の人々を題材に選びました。
その制作方法は特殊で、ほとんどひと筆書きと思われるほど速い運びで描いていくのが特徴です。
とはいえ、決して“描きとばす”ようなものではなく、それ以上にないほどの完成度に仕上がっています。天才的な写生力がなせるワザであり、その躍動感に満ちた作品は国内外で高い評価を得ています。
「ロバ」と「少数民族の生活」にこだわった写実主義の画家
黄冑は、1925年に中国河南省に生まれました。のちに天才画家と呼ばれる人々の多くがそうであったように、黄冑もまた、幼少の頃から絵筆を持つことを何よりの喜びとしていました。 18歳の頃に著名な画家の趙望雲に認められて教えを受け、また翌年には画家の韓楽然とともに写生旅行をするなどして画力を高めます。
1940年代後半。 小説執筆、編集者として勤務……と絵画以外にもさまざまな方面で活躍していた20代の黄冑は、師の趙望雲とともに写生旅行に出て新疆ウイグル自治区を訪れることで、画家として転機を迎えます。 華やかな衣装と、美しい歌舞音曲に満ちた平和なウイグル族の生活に魅せられた黄冑は、魅入られたかのように写生に没頭しました。
そして、1950年代。 国立美術展で新進気鋭の画家として注目されたり、大学の芸術学部で講師を務めるなどしてその才能を活かしていた黄冑。この頃、「少数民族」と並ぶ生涯のモチーフとなる「ロバ」の絵を盛んに描くようになります。単なる“労働力”に過ぎないとされ、何も考えていない愚鈍な生命体だと見なされがちなロバに深い同情と共感を寄せ、むしろ物も言わずに忠実に働く強靭な姿に魅せられ、絵筆をふるいました。
こうして、画家として生きる指針となるモチーフを得た黄冑は、さらに勇躍しようとします。 しかし1960年代、黄冑の作品は文化大革命において“反革命的”という理不尽な烙印を押されます。 現代中国の“黒歴史”となった文革が終結するまで作品は発表できなくなり、黄冑自身も、思想改造を目的とした強制労働を強いられました。
1970年代、画家として復帰。 それ以後は、盛んに作品を発表し、個展を開催して旺盛な創作活動をスタートさせます。 1978年、日中平和友好条約の批准書を交換するために副首相の鄧小平が日本を訪れ、昭和天皇と会談していますが、その際、鄧小平は黄冑の作品を贈り物として携えました。 このように、国家的な事業にも関わりを持ち、中国美術家協会常務理事なども務めつつ、黄冑は72年の生涯を全うしました。
黄冑の代表作
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「百驢図」
1978年に描かれたもので、ロバをテーマとした黄冑の集大成というべき作品です。長大な画幅の中で、文字通りロバが100通りの姿を見せている図を描いています。いずれのロバも繊細な筆致で表情豊かに描かれ、生き生きとした息吹が感じられる作品に仕上がっています。
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「聴琴図」
中国大陸の西北部にある、新疆ウイグル自治区。ここに住む人々の暮らしぶりに憧れを抱いた黄冑は、何度も写生に足を運び、その生活を盛んに画幅に写し取りました。 この作品もそのひとつで、色鮮やかな衣装に身を包んだ女性たちが琴の音色を聴きながら刺繍する平和な情景を描いています。
その他、黄冑の作品は『黄冑作品選集』などで見ることができます。
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