雨宮治郎(あめのみやじろう)1889年–1970年
雨宮治郎は、大正から昭和にかけて活躍した彫刻家です。
敬子、淳という2人の子も優れた彫刻家になりましたが、敬子や淳が女性の裸像で優美な姿を追求したのとは対照的に、一貫して男性像の制作を行い、男性的なたくましさの表現に力を尽くしました。その作品はいずれも高い評価を得ており、スポーツマンを表現した作品が日本体育大学や東京国立競技場に設置されているほか、没後には多くの作品が茨城県近代美術館に寄贈されており、現在も人々に親しまれています。
堅実な作風で男性の肉体美を表現した建築家
1889年、雨宮治郎は茨城県に生まれました。若い頃から彫刻家を志し、東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科に入学。在学中の1918年に文展に出品した「落花」が初入選を果たし、注目されます。1920年に卒業後は東京美術学校の研究科に進み、技術を磨きます。
学校を出たあとは帝展、文展、日展で活躍。連続して特選になるなど高い評価を受け、1950年には日展審査員となり、さらに日展運営会の参事も務めます。また1950年代には代表作のひとつである「健人」が日本芸術院賞を受賞する(1957年)など活躍しつつ、東京学芸大学の教授や日展評議員、日本彫塑会委員長、日本芸術院会員、日展理事などを務め、日本の現代彫刻における重鎮として活躍しました。ちなみに、男性を表現したものが圧倒的に多い一方、女性のなよやかな肢体を表現した「女人像」や、表情や立ち姿から限りない優しさを感じさせる「救世大観音像」といった作品も手がけています。
そんな雨宮治郎は、1970年5月に死去。作品の多くは妻の日出子によって茨城県近代美術館に寄贈されました。
雨宮治郎の代表作
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「健人」
日本体育大学の世田谷キャンパスに設置されている像で、筋骨隆々とした男性が力強く自信に満ちた表情でおのれの筋肉を誇示している姿がかたどられています。ダビデ像を思わせる構図でありながらも、より男性のたくましい肉体美がパワフルに表現されており、見る人の胸に迫ります。
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「黒田清隆之像」
北海道札幌市の大通公園に設置されているブロンズ像です。明治時代に北海道の開拓長官を務め、のちに総理大臣となった政治家・黒田清隆の力強い姿をかたどったもの。豪放磊落な黒田清隆という人物の特徴をとらえた堂々たる仕上がりになっています。もとは彫刻家・加藤顕清による作品になるはずでしたが、加藤が死去したことにより、雨宮治郎が構想を引き継いで完成させたという経緯があります。
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