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松本竣介作品買取

松本竣介の生涯

37歳という若さでこの世を去った夭折の画家・松本竣介。 1912年、東京・渋谷に生まれるも、父親の仕事の都合で幼少期のほとんどを岩手県で過ごします。 そんな中、岩手県立盛岡中学校の入学式翌日に脳脊髄膜炎が発覚。これによって聴覚を失います。 しかし不幸中の幸いというべきか、これによって父親が希望する軍人への道が絶たれたため、松本は夢だった技師の道を歩み始めます。 そんなある日、兄から油絵の道具一式を譲り受けた松本はこれを機に画家を目指すようになり、そして1929年、盛岡中学校を中退して上京します。


上京してから「太平洋画会研究所」に通い始めるも、なかなか自分のスタイルを確立できなかった松本。 多くの作品を手がけるものの、10年ほどは個性を表現した作品が生まれなかったといいます。 そんな中、1935年には前衛グループ「NOVA」に参加し、その翌年には松本禎子と結婚します。 結婚後、夫婦で月刊誌『雑記帳』を創刊。これには高村光太郎や麻生三郎といった画家による挿絵が掲載されていました。また、1940年には美術雑誌「みずゑ」に『生きてゐる画家』という一文を投稿します。


このような活動に力を入れる一方で、画家としての活動にも精を出します。 1943年には麻生三郎や大野吾郎たちと「新人画会」を結成しつつ、『鉄橋付近』『運河風景』といった風景画を描きます。また、第二次世界大戦後は展覧会に作品を出品しつつ、その傍らで雑誌の表紙や挿絵の制作にも努めています。 しかし1948年2月以降、胸痛をはじめ、体に異常が現れ始めます。そして5月には医師から結核と診断され、長期にわたる療養を余儀なくされます。 そしてその翌月、容態が急変した松本は、そのまま自宅で息を引き取り、帰らぬ人となりました。


松本竣介の代表作と作風

松本俊介は、特に風景画を好んで描いていました。 当初は青を基調とした透明感のある風景画を発表していたものの、第二次世界大戦をきっかけにその作風に変化が現れます。敗戦後は黒や茶色をベースとした暗めの色調が目立つようになり、また殺風景な街並みを描いた作品も見られます。

そんな彼の代表作のひとつとして、エッセイ『生きてゐる画家』を発表したのちに描いた油彩画『立てる像』が挙げられます。 静まり返った街中に1人、何かに不安を感じているかのような表情でポツンと立つ青年の姿が描かれた作品です。これは時代に抗いながらも画家の生きる道を見つめ直す、当時の松本竣介本人を描いた自画像ともいわれています。

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